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カテゴリ:想い
幕末時期のドラマを観て、今は遠く彼方に消えてしまった、会話や所作の中にあった日本人の節度を懐かしく思います。
思えば私も、子供の頃は誰に教わることなく、少なからずそんな部分を持っていたような気がします。 祝祭日には隣近所のあちこちで軒先に国旗が掲げられていました。 年長者を敬うのは当然、小学生の頃から日常においては他人に交わる中で、敬語は極自然に使用していました。 今から考えると、私は特別堅い人間だったかもしれません。 友達の家に遊びに行くと出される、夏は当時定番のカルピス。 家人の前で私は正座し、口数少なくも礼儀正しく受け答えし、 出されたものに手を出すこともあまりありませんでした。 友達のお母さんが、 「◯◯君、何か召し上がりますか?」 と優しく問いかけてきても、私はいつも、 「いえ、結構です」って答えていたものです。 お母さんからはいつも 「◯◯君は遠慮屋さんね」なんて言われながら。 体育館に全員集合の時は、いつも正座していました。 誰に言われることなく、自分にとっては自然な振る舞い。 小学生、中学生・・ 生きてきながら、社会人となっても随分と長くその様なものを引きずってきたかもしれません。 お世話になっている会社の社長や先輩に、中元、歳暮を贈るのは当然のこととしてやってきました。 独立するまで続けていました。 決して保身ということでなく、だから例え旅先からの土産を先輩に渡すのも分け隔てはありません。 部下も同僚も社長も、全員を我が家に招待し、妻の手料理を振る舞うこともしばしばありました。 とにかく人を招くことをよくしました。 礼節を尽くし、しかし譲れぬものは譲れぬ。 で、後のことなど考えず七度も職を辞してしまった。 時々周りからは堅物とも言われながら、しかし自分自身は楽な状態にあるのです。 ただ、社会に即応していくのは結構大変でした。 私にとっては当たり前な事と現実のギャップに紆余曲折したのも事実。 今はすっかり心身もゆるゆるになってしまったけれども、精神支柱は変わらぬものがあるかもしれません。 振り返れば、家で父がごろ寝していたのを見たことがありません。 朝早く起き神棚に手を合わせ、黙々と仕事する父との会話はほとんどなく、誰にどう教わったわけでもなく、私は自然に堅物?となった。 風鈴の音響く座敷で、遊びに行った友達の家でお母さんが出してくれた白いカルピスを、正座して遠慮がちに手に取る子供の私が、まるで画面を見るように懐かしく浮かんできます。 大河ドラマを見ながら違和感のない光景。 凛としたものに惹かれる風土に育って良かった。 ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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