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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:視・紙・誌面から
母と姉の遺骨を納めに京都の大谷本廟に行ってきた。お寺で納骨ロッカー?を共用しているような感じで、そのうちのある引き出しに入れるだけの作業だ。被害妄想だが、宗教法人というと何かにつけての費用徴収で、あらかじめぼったくり?を覚悟して行った。「ご厚志」というのが一番怖い。寿司屋の「時価」みたいなものである。
あらかじめ寺の住職から「まあ5千円で十分ですよ」と聞いていたので、2人分で1万円用意していた。受付で「納骨時に読経はご希望ですか?」と聞かれ、「いえ、結構です」と答えると「ではこのご厚志は不要となりますが」これにはちょっと面食らったが、一旦出したものを引っ込めるのも気が咎める。「それではお願いします」「ではこれはお供えということで承ります」何やら消化不良だが、ロッカーの前で待てということだ。 大谷本廟はちょっとした山の上にあり、納骨堂は6階建てで山を掘って作ってある。エレベータで1階まで降りるとずらりとロッカーが並んでいる。あいうえお順ではなく、いろは順で整列してあり、流石京都と思わせる。程なく若い僧侶がやってきた。お経は短いもので、毎晩私があげているものだった。納骨を済ませてから、裏道を通って清水寺へ観光に。 流石に京都の観光名所で、外人さんばかりと、修学旅行生。レンタル着物で留袖を着ている人もあり、しかもスニーカーでちょっと私たちの世代には違和感があるが、外人さんにとっては「ゴージャス!」みたいな感覚なのだろう。新緑に映えて赤が美しい。 とにかく日本語がほとんど聞こえてこなくて、若干不安になった。 ここからさらに3年坂、2年坂を越えて八坂に行くことにした。新緑の紅葉に包まれている。 女房は学生時代を京都で過ごした。その時に食べに行ったという葛切りの店とパン屋を目指し、久しぶりのデートである。「うん、この味この味!」ご機嫌である。 京都まで家から3時間弱。新快速のおかげで近くなった。さて、大谷には30年ごとくらいに来ている。親が亡くなった時だから、30年くらいでひと世代が変わる。次は私か女房が骨になったときだろうな。 帰りのバスは満員だった。外人さんから女房と共に席を譲られ、高齢者であることを再認識した。そろそろ近いかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月18日 23時32分52秒
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