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みかんの木を育てる-四季の変化

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2011年10月13日
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第12回マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(c立法権 その9)

今回は第307節、農民身分を焦点にした4つの節の最後の節です。
第304節は、政治的身分的要素は、その独自的な意義をもつ。仲介の役割。
第305節は、政治的身分的要素、農民身分の独自性で、ヘーゲルのまやかし。
第306節は、長子相続は土地所有の現れ、政治的国家と私的所有の関連について。

今回の第307節ですが、
P135には全文が掲載されていますが、全体で8行と短いものです。
P188 ここでもマルクスは、冒頭でヘーゲルの原文を紹介し、それを論評しています。

そのあとで問題点を提起していきます。
P189 1、最初の問題は、ヘーゲルが「出生」の自然性格と、その人の社会的な事がらとを、同一視している問題です。
ヘーゲルは、農民身分の政治的国家における立場について、それは「選出の偶然によらず、出生によって、その権利を与えられている」と述べています。
(まあ、当時のプロイセンをはじめドイツ諸邦では、実際そうなっていた問題でしょうが)

ヘーゲルが農民身分の「出生」による立法者への任命と、「選出の偶然」による任命とを対置していること、
これに対してマルクスは、それは自然的個体と社会的産物とを同一視するもので、「これほど馬鹿げたことはない」。これでは市民の意識的な産物の「選出」と、出生の物理的偶然とはまったく別な関連だということが分らなくなるじゃないか、と批判しています。
P190 さらに、ヘーゲルにあっては、自然と精神、体と心とのニセの同一性が、断片的な所どころで同一性が化身となってあらわれると指摘しています。
ここでは、「出生」という自然的個体が生み出されることと、社会の所産である特定の社会的地位にある個体とを、直接的・無媒介的に一致させていること、それは『まことに奇怪』だ、と批判しています。

2、次にマルクスは、長子相続権の2つの契機を指摘して、三つの点を分析していきます。
P191 長子相続権の場合、2つの契機がある。
1.  永続するものは世襲財産、所有地である。主人公は物で、人はその付属物になる。
2.  相続主の政治的質は彼の相続財産の政治的質であり、相続財産に付き物のの政治的質である。
この2点を指摘をした後、次の三つの点を分析していきます。
一、私的所有の相続との関係。
二、私的所有、相続と、これによる或る種の家系の政治的主権への参与の特権との関係。
三、現実的歴史的関係またはゲルマン的関係。

P192 一は、すでに長子相続権が「非依存的私的所有権」という抽象物であることを見てきた。
(P175から 農民身分の資産の独立不羈。長子相続は土地所有の帰結であり、石化した私的所有である。などなど)。

二ついては、2つ分析しています。
1つは、私的所有と政治的参与の特権との本質関係について。
これまで見てきた政治的国家においては、非依存性、自立性は私的所有権、譲渡されざる土地所有権としてあらわれる。政治的国家の成員は、その非依存性を抽象的私的権利の本質から、私的所有権から受けとる。私的所有権が政治的国家の本質的な、真の意義である。政治的国家は具体的な国家のさまざまな契機の真の在り方を映しだしている鏡である。
P193 したがって、「非依存的私的所有権」が政治的国家において、政治的非依存性の意義をもつなら、その場合、「非依存的私的所有権」または「現実的私的所有権」は、たんに「国家制度の支柱」であるだけでなく、「国家制度そのもの」である。それは根本的な、真実の制度だ。
(ようするに、これまでみてきた国家にとっては、私的所有権の政治的国家に対する関係は、本質的で、根本的なものだということです)

2つには、政治制度と政治的人格、モラルとの関係について。
マルクスは『法の哲学』第297節をとりあげます。
(ここでヘーゲルは「さしあたり観念性という普遍的思想にすぎない主権が、つぎに現実に顕現するに至るのは、もっぱらおのれ自身を確信している主体性としてだけ」、つまり観念から現実が出てくると言ってます。)
P193 ヘーゲルは「学の内在的展開、単一の概念からの学の全内容の導出」「そういうふうに、最初、直接的権利において抽象的人格であったという根本的契機は、このさまざまな主体性的形式を通じて練り上げられてきていて、そしてここ、絶対的権利、すなわち国家、換言すれば意志の完全に具体的な客観性において、それは国家の人格、国家の自己確実性なのである」と言っています。
これをマルクスは、「ということは、「抽象的人格」が最高の政治的人格、全国家の政治的土台であることが国家においてあらわれるにいたるということである。同様に長子相続権においても、この抽象的人格、それの客観性、「抽象的私的所有権」は、国家の最高の客観性、国家の最高の権利として存在するにいたる」と注釈しています。

(この分析は重要だと思いますので、逐次追跡してみます)
P194 ア、ヘーゲルは私的権利を抽象的人格の権利、または抽象的権利とよぶ。実際、それは権利の抽象物として、したがってまた抽象的人格の幻想的権利として展開せざるを得ない。
イ、それはヘーゲルによって展開されたモラルが抽象的主体性の幻想的在り方であるのと同然である。
ウ、ヘーゲルは私的権利とモラルをそのような抽象物として展開するのであって、
そこから彼の場合、それらを前提にもつ国家とか道義とかがこれらの諸幻想の社会(社会生活)以外のなにものでもありえないということは出てこず、かえって逆に、私的権利やモラルはこの道義的生活の下位の契機であるということが出されてくるのである。
エ、しかし、私的権利は国家を構成するこれらの諸主体の権利、そしてモラルはこれらの諸主体のモラルにほかなるまい。さもなければ、むしろ私的権利の人およびモラルの主体は、国家という人および主体である。
オ、ひとはヘーゲルをそのモラルの展開についていろいろ攻撃した。ヘーゲルは現代的国家と現代的私的権利とのモラルを展開しただけである。ひとはモラルをもっと国家から分離したがり、もっと解放したがった。これは何を意味するか?今日の国家の、モラルからの分離がモラル的であること、モラルは非国家であり、そして国家は非モラル的であることを証明したのである。
カ、むしろ現代のモラルにそれの本当の位置をあてがったということは、ヘーゲルの一つの大きな功績である。-もっとも一面では(すなわちヘーゲルがそのようなモラルを前提にもつ国家を道義の実在的理念と称する面では)無意識的であるとはいえ-。

(ようするに、モラルは、政治的主体のモラルであること。その道義生活(社会生活)がもとにあること。ヘーゲルは私的権利やモラルを社会生活の下位とみなそうとするが、-思想が現実を作り出すとみているので、-社会生活に対応した私的権利やモラルであること。こうした点をマルクスは強調していると読めました)
以上が、二の私的所有と政治的国家、モラルとの関係です。

次に、三、長子相続権、私的所有の「現実的歴史的関係」について、マルクスの分析です。
1、P195 長子相続権は私的所有と政治的国家との普遍的関係のたんなる一つの特殊な在り方にすぎない。
 ゲルマン諸族-中世-フランスと、長子相続・私的所有の歴史をたどります。
2、私的所有権のローマ的展開とゲルマン的展開とを比較対照しています。
 ア、ローマ人がはじめて私的所有の権利を仕上げた。
 イ、ローマ人の場合の政治制度と私的所有との歴史的関連をみています。
P198 ウ、ゲルマン人とローマ人との2つの違いを指摘しています。
  1.ローマにおいて私的権利が完全に展開した時には、国家の権利は無きに等しかったけど、ドイツでは事情は逆だった。
  2.ゲルマンの長子相続権等々とは逆に、ローマにあっては遺贈の自由が私的所有の在り方として出てくる。
この対立のうちに私的所有のローマ的展開とゲルマン的展開とのまったく違う点がある。

(マルクスの注です-長子相続権の場合には、私的所有権は国家機能に対する関係となり、国家は私的所有、土地所有の一つの付き物となっている。ヘーゲルは国家と国家的意向を私的所有の一つの質にしている)

マルクスがヘーゲルの社会観を検討し、正していること。私的所有の形態が歴史の展開をつかむカギになっていること。強烈な問題意識と歴史探求が行われていることがわかります。
 今回は、以上です。






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Last updated  2011年10月24日 22時04分38秒
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