島崎藤村の『破戒』を読みました
いやいや、ようやく積年の読み残してきた著作、大きな宿題をはたせました。
当方が持ち歩っていたのは、新潮文庫の1983(昭和58)年刊行のもの。
30年間も前から、読もうとして読めずに、本棚の片隅でほこりをかぶりつづけてきたというものです。
藤村が『破戒』を出したのは、1906(明治39)年3月とのこと。
最初の小説の執筆だそうです。今から、106年も前の作品ということになります。
私などは、若いころは忍耐力が無いので、長い作品は読もうとはするものの、途中で投げ出してしまうことがよくありました。そのさえたるものの一つが、この『破戒』でした。
ようやく宿題を果たしたことになりますが。
今回読んでみて、それはまったく古くないんですね。
新鮮な感じで一気に読めましたんですが、どうして投げ出しいていた、不思議です。
主人公は瀬川丑松(うしまつ)で、小学校の教師です。
丑松は穢多(えた)、つまり部落の出身なんですね。四民平等とされるようになった明治の時代ですが、差別意識がつよくあったこと。
部落の出身ということだけで、世間は偏見と差別視して、まともな人間扱いがされなくなった。父親は丑松に対して「部落出身であることを隠せ」と言い残して亡くなっていきます。
藤村は、丑松の立場に寄り添って、その葛藤を書きあげています。
明治の時代にあっては、今では考えられないような、すごい差別意識があったこと。それが、多くの出来事の中に描かれています。実感的につたわってきます。
島崎藤村という人は、今は歴史遺産の宿場町として残されている馬籠(まごめ)宿に生まれました。晩年には『夜明け前』でそれを残していますが。1872(明治5)年の生まれです。1881(明治14)年には学業の為に上京して、以来ほとんどを東京で生活していたとのこと。1899(明治32)年には、27歳で結婚して、小諸義塾に教師として赴任して、7年間の小諸で教師生活をしていた。
それから、『破戒』をたずさえて上京し、これを自費出版したのだそうです。
この小諸での教師体験が『破戒』の基礎にあるわけです。
『破戒』の面白さの一つは、その土地柄の方言や風俗もよくとらえられていることです。
もちろん主題は、部落出身者への社会的な偏見、その壁にどの様に対処していったか、これが主題です。
丑松は、ず~っと避け続けてきたその出身の秘密を、小説の最後の方では、たとえ人間関係を『破戒』したとしても、あえて正面から立ち向かうことを決意する。そこで作品は終わっていますが。この葛藤を描いているわけです。
『破戒』は、すでに日本文学の古典とされてますから、多くの批評もあるとおもいます。
どうして私は、もっと早い、若い時期に読めなかったのか。もっと以前に読んでいたら、もっともっと世界を大きく豊かにとらえれたかもしれません。もったいない。
今さらながらですが、そんな感じがしてきます。
それにしても、無くさずに、長く持ちあるってきたわけだから、まずは良しとして。
確かに長い時を隔てても、大事にされるべき中身があり、新鮮な響きを感じさせてくれる作品でした。やはり日本の文学史に残る作品と読めました。