降旗哲郎氏の写真展を見てきました
11月18-19日(日)、故降旗哲郎氏の写真展『人間交差-昭和40年代の小田原駅』が箱根板橋でひらかれ、見に行ってきました。
私などは、これまで年賀状の写真でだけしか、降旗氏の写真を知らなかったんですが。
この小田原駅は、私などが高校の3年間を、毎日利用していた駅だったんです。
展示された写真には、当時この駅を利用していた様々な人たちが写っていて、
かつての様子が、これらの写真によって、いろいろよみがえってきました。
2012年に降旗哲郎氏は亡くなったとのことですが。
写真家として、主に人物をとおして時々の社会を撮っていたようです。
この展示のなかに、小田原駅の最終電車が終わった後のホームの写真がありました。
すでに人けもほとんど無く、電気も暗くなり、寂しく人がいなくなるホームの様子です。
私なども、1969年の大学一年の時を思い出しました。
当時、法政の市ヶ谷から帰る時、友達と話したりしていると遅くなるじゃないですか。
シンデレラじゃないけれど、
帰りの最終電車は、東京駅を22時7分くらいの東海道線の下り電車だったんです。
「やっと帰っえれるか…」と思う反面、この電車を乗り過ごしたら小田原止まりの電車しかない、これが真鶴まで帰れる最終だったんです。だから、ほっとすると同時に大変緊張したんですね。
この当時の最終電車の心境を思い出させてくれる一枚でした。
古い小田原駅の駅舎をめぐっては、人それぞれに、懐かしい思い出があると思うんですよ。
今の小田原駅は、モダンな近代建築の駅舎に変わっていますから。
しかし、目を閉じれば、浮かんでくるのは、小便小僧がいた改札口の駅舎なんですね。
この時代の流れは、大勢の観光客をむかえるうえでも、逆らいえない変化なんですが。
写真展の会場は、箱根の旧東海道の街道沿いにありました。
ここは、前はお醤油をつくっていた工場だったそうです。
その建屋の一部で、原料の大豆を入れていた蔵とのことでした。
かつての小田原駅を通して、人々の交差する姿が記録されていました。
いろいろな方が、つぎつぎと会場を訪れていて、
写真を通して新たな「人間交差」をつくっていました。
私なども貴重なひと時でした。
忘れていた事柄を今に懐かしくよみがえらせてくれた写真展でした。