私などの第49回総選挙についての感想
第49回総選挙(2021年10月31日)の投票から、いち夜が明けました。
まだ当落の結果しか分からないんですが。
『身の回りの劣勢という局部からだけ判断しちゃならない、
全都、全国の全体的状況により、事態が変わる場合もあるから、
その持ち場、持ち場で、政権交代した場合に備えるべきだ』
なんて半ばまでほざいていたわけでから、
良識を発揮された方たちもそうでしょうが、肩を落とす面もあるんですが。
まずは、腹ごしらえです。
小田原の知り合いが、玉ねぎとジャガイモをひと箱ずつ届けてくれたんです。
一人じゃ食べきれませんから、あちこちおすそ分けしているんですが。
ハヤシライスをつくりました。
これで、朝・昼・晩の、三度の食事は大丈夫です。
しかし、ここが、肝心なところとおもってます。
各所の結果は、具体的な特徴は、テレビ・新聞の速報いじょうには、まだよくわからないんですが。
この選挙の結果をどう見て、現実が提起している課題をどう受けとめて、
どのような活動方向をつくるのか、ここが問われています。
選挙戦全体として、政治的な争点、政策的に二つの道は明らかになったとおもうんですが。
しかし、なのにどうして、
国民の要求をしめしていた政策が、それほど浮き上がらなかったのか。
ここには、二つの政策問題の違いを選択するということ以前の問題があります。
都会の生活者、団地住人には徐々に薄れているところの、
地域には以前からの生活からの習慣の力もはたらいています。
そこでは、理屈以前の習慣があります。
これまで一歩一歩、それを科学と良識で変えてきたのが、これまでの努力でもあるわけですが。
今回も、野党が統一して中で、新たに発揮された面があるんですが。
そうした面もとらえつつ、全体としての活動性をどのくらい発揮することができたのか。
「現実」というのは、良い面だけでなく、理想的な考え方(精神)を探る面だけではなく、無言の習慣的な現実(存在)の力もあるから、本当の「現実性」というのは、そこでのぶつかり合いの中から、生きた現実をとらえてそれに働きかけ、動かして浮き上がってくるところのものですね。
ここでは、単純に1+1が2、というわけにはいかないんですね。
燃え上がってくるという問題もあるんですね。
とにかく、この最高の力からぶつかり合った総選挙の結果から、何を学ぶのか。
学びつつ事態の前進をひらいていくのか、
ここには現実問題が提起されているわけで、それをどの様にとらえることができるか。
これこそ今回の試練が課している歴史的な宿題であり、
明日の未来を拓くために、それぞれの英知がためされているところですね。