ウクライナと自分たちのつながり
ロシアのウクライナ侵略は、ウクライナ国民に多大な悲劇をもたらしている。
それに憤る日本国民に、わたしもつらなる。
そうした中でも、それでもやはり人には人の仕事がある。
今回の場合は、みかんの木の剪定に来たつもりだったけど。
やれたことは、
一、ビワの巨木の枝の間伐。
このビワの木がみかんの木を日陰にしているためだったから。
二、ネーブル7.5コンテナの販売の手配。
これは当方の作ではないんですが、美味しくて立派なネーブルが農協等の本来の出荷先が見つからないためです。規準内の大きさであれば押しも押されぬ太鼓判の味なんですが、基準に満たないというので、向け場がなくなっているんですね。私などの住む東京の団地では、安くて新鮮ジューシーで大好評なんですが。農家に喜ばれ、団地消費者に喜ばれるなら、私としても頑張らざるを得ないじゃないですか。
三、生産農家の働き手は高齢化しています。
明日のみかん園を誰が担うのか。見通しが立たない中で自らも70歳代と高齢化していきます。若かった時よりも作業力が、手入れの面積が狭まるのは自然の摂理です。政治は全くと言ってもいいでしょう、そうした事態に答えようとはしていません。
そうした中で、世界ではウクライナの悲劇です。
チェコ事件、アフガニスタンの事件、またぞろです。
日本は、第二次大戦にの結果により千島を占領されてるじゃないですか。
また日本は、第二次世界大戦で原爆の被害を受けているじゃないですか。
そうした国民の一人としては、日々の生活はあるにしても、
今進行しているウクライナの悲劇に心を寄せざるを得ないじゃないですか。
しかし、見ておかなければなりません。
これは他人ごとではないということを。
だって、千島を占領されながら、そうしたプーチンと仲良くしようとしていた政治家がいるじゃないですか。はぐれガラスの政治家の一個人ならまだしも、政権を担当する責任者がですよ。
この機に乗じて、核兵器を日本が共有することで、日本を守るんだなんて、そんなことまで言っている政治家が、そんな政治家が現にいるんですよ。
ようするに、とにかく他国での軍事行為を、即時に。あれこれ言わずに停止せよ、です。
この悲劇を利用して、日本の憲法・9条を否定しようなどというやからの動きに、厳しい注意が必要です。
彼らは、プーチンと仲良くして不法な占領をやむなしとの方向を、日本国民におしつけようとしてきたんです。憲法を変えて軍国日本を再現しようしてきたんです。
ようするに、ウクライナ国民と形は違っても、同様の悲劇を日本国民に押し付けようとしているんです。
そうした政治家が、有力者として今の日本で活動しているんです。
こうした連中がはばをきかせているような政治では、どうして国民の暮らしに光が当たるでしょうか。
国民の利益よりも、プーチンとの仲良しを優先にしてきた政治が続いてきたんです。
だから日本国民が問われているんです。
ウクライナに対して、それと同様に国内政治で、
どうして、こうしたプーチンに対する態度で、侵略戦争にたいす反対の態度がとれるでしょうか。
どうして国民が主人公の政治が出来るでしょうか。原発や軍備、無駄な道路とかに、儲かることばかりに国費を投じている、こうした政治体質の中にいる人たちに、どうして自己を変えることが出来るでしょうか。
(ことは千島問題だけじゃありません。沖縄への米軍基地を押し付けている、これも形をかえた占領支配の継続であり、卑屈な政治家が招いている同様の結果です。原発にしがみつくのもその結果です。
ロシア国民だって、こんなプーチンの侵略戦争に無批判に、言論を封じられたままで、いつまでも動員されているはずはありません。
問題は、何が主要な問題かです。)
日本国民自身にとってとわれているんです。
プーチンに対する「侵略やめろ」と同時に、国内政治でこれまでのあいまい・加担の政治を改めさせるべく、両面でそれを変え得る見識と力をもつことが、求められているんです。
そうしないと、日々の苦労が報われないんです。
そうした時に、私たちは今いると思います。