2988282 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

イルカみたいに生きてみよう~心の力を抜いて楽しく生きていきませんか

イルカみたいに生きてみよう~心の力を抜いて楽しく生きていきませんか

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2023年11月13日
XML
カテゴリ:Oの人生論


いい話を読んだ。

週刊新潮の「アスリート列伝 覚醒の時」(小林信也)である。

1968年のメキシコ五輪。東京の次の大会だ。
陸上の男子200メートル。
アメリカのスミスが優勝し、2位がオーストラリアのノーマン、3位がアメリカのカーロス。
表彰式で事件は起こった。
スミスもカーロスも黒人。
アメリカ国歌が流れ、星条旗が掲揚される中、
スミスは右手に、カーロスは左手に黒手袋をはめて、
手袋をはめた手を握り締めて、高くつき上げたのだ。
黒人差別に対する抗議行動だった。

彼らは即座にアメリカ・ナショナル・チームから除名された。

すごいのは、
この2人だけではなかった。
2位のノーマン。オーストラリアの白人だ。

小林さんの記事によると、
表彰式の前日、たまたま3人は話をする機会があったそうだ。
スミスはノーマンに「人権を信じるか」ときいた。ノーマンは「信じている」と答えた。
「神を信じるか」と尋ねた。「強く信じている」と彼は答えた。
それで、
スミスとカーロスは、
表彰式でするつもりのことをノーマンに伝えた。
ノーマンは、「ぼくも君たちと一緒に立つ」と言ったそうだ。
「その言葉を我々は決して忘れない」とスミスは証言しているのだと言う。

ノーマンは、
スミスとカーロスが胸につけていた人種差別に抗議する団体「人権を求めるオリンピックプロジェクト(OPHR)のバッチを自分もつけて表彰台に上がることにしたのだ。

当時、オーストラリアも白豪主義と言って、
黒人差別がひどかったようだ。
ノーマンの行為は大問題になった。
彼は白人社会からうとまれ、非難されて、
悲惨なオリンピック後の人生を歩むことになったのだ。

2005年にスミスとカーロスの母校であるサンノゼ州立大学に、2人が表彰台で拳を突き上げるモニュメントを建てた。
ノーマンの姿はそこにはない。
ノーマンの希望だった。
そのとき、ノーマンはこう言ったそうだ。

「訪れた人が二人とともにそこに立てば、
あの日、ぼくがどんな気持ちだったか感じることもできるだろう」

人種差別はいまだにある。
戦争の根底にも、差別的意識があるのだと思う。
いじめも虐待も。

彼らは栄光をつかみ、
恵まれた人生を歩むチャンスをもらった。
しかし、
自分さえ良ければいいとはならなかった。

自分たちが世界から祝福される場所で、
そういう場所だからこそ、
世の中の矛盾に声を上げた。

いい話を読ませてもらった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023年11月13日 07時37分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[Oの人生論] カテゴリの最新記事


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

さそい水

さそい水

Calendar

Favorite Blog

暖房 New! 院長9988さん

高見彰七と浅野祥雲… kopanda06さん

発達的に見た情緒の… 情緒発達さん

秋のサイクリング【… ハピハピハートさん

小学校でハープコン… 47弦の詩人さん

Comments

さそい水@ Re:のほほんと生きてきた。のほほんと生きていく(07/23) ストイックというのは、 ひとつの世界を極…
さそい水@ Re:ありがとうの思いを現実化するのがお金の役割(12/12) 大谷君は、 野球が好きで好きでたまらなく…
ハピハピハート@ Re:娘の結婚式(03/12) 美しい花嫁さんですね🌸
さそい水@ Re:本当の自分?(12/27) いろいろな自分が同居しているんじゃない…

Freepage List

Headline News


© Rakuten Group, Inc.
X