カテゴリ:Oの人生論
いい話を読んだ。 週刊新潮の「アスリート列伝 覚醒の時」(小林信也)である。 1968年のメキシコ五輪。東京の次の大会だ。 陸上の男子200メートル。 アメリカのスミスが優勝し、2位がオーストラリアのノーマン、3位がアメリカのカーロス。 表彰式で事件は起こった。 スミスもカーロスも黒人。 アメリカ国歌が流れ、星条旗が掲揚される中、 スミスは右手に、カーロスは左手に黒手袋をはめて、 手袋をはめた手を握り締めて、高くつき上げたのだ。 黒人差別に対する抗議行動だった。 彼らは即座にアメリカ・ナショナル・チームから除名された。 すごいのは、 この2人だけではなかった。 2位のノーマン。オーストラリアの白人だ。 小林さんの記事によると、 表彰式の前日、たまたま3人は話をする機会があったそうだ。 スミスはノーマンに「人権を信じるか」ときいた。ノーマンは「信じている」と答えた。 「神を信じるか」と尋ねた。「強く信じている」と彼は答えた。 それで、 スミスとカーロスは、 表彰式でするつもりのことをノーマンに伝えた。 ノーマンは、「ぼくも君たちと一緒に立つ」と言ったそうだ。 「その言葉を我々は決して忘れない」とスミスは証言しているのだと言う。 ノーマンは、 スミスとカーロスが胸につけていた人種差別に抗議する団体「人権を求めるオリンピックプロジェクト(OPHR)のバッチを自分もつけて表彰台に上がることにしたのだ。 当時、オーストラリアも白豪主義と言って、 黒人差別がひどかったようだ。 ノーマンの行為は大問題になった。 彼は白人社会からうとまれ、非難されて、 悲惨なオリンピック後の人生を歩むことになったのだ。 2005年にスミスとカーロスの母校であるサンノゼ州立大学に、2人が表彰台で拳を突き上げるモニュメントを建てた。 ノーマンの姿はそこにはない。 ノーマンの希望だった。 そのとき、ノーマンはこう言ったそうだ。 「訪れた人が二人とともにそこに立てば、 あの日、ぼくがどんな気持ちだったか感じることもできるだろう」 人種差別はいまだにある。 戦争の根底にも、差別的意識があるのだと思う。 いじめも虐待も。 彼らは栄光をつかみ、 恵まれた人生を歩むチャンスをもらった。 しかし、 自分さえ良ければいいとはならなかった。 自分たちが世界から祝福される場所で、 そういう場所だからこそ、 世の中の矛盾に声を上げた。 いい話を読ませてもらった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023年11月13日 07時37分35秒
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