土屋長吉公の評価がこれか、ざんねんでならぬ どうする家康
。久しぶりに。建国祭を主催して下さった大府市の友にあう。コロナや選挙などのため例年の参加者数には届かなかったが継続こそが重要と確認しあう。尾張部での学習会が私の怠慢と多忙のため中断していたことを恥ず。会う機会を増やさねばと思うのだが。検討せねば。 待望の「どうする家康」をみる。家康公3大危機の一つ、三河一向一揆において土屋長吉公が主君家康公を守りぬいた義挙が放映されたのだ。極めてマイナーな人物名で町内、市内においても知る人がほとんどいないほど。しかし永年長吉公を敬愛し、10年ほど慰霊祭を数人で行ってきた自分にとって待望の出来事であった、大久保一党の救援要請を受け家康公が駆けつけて一揆勢と立ち向かった 等の話や宗門側にいた土屋長吉公が無間地獄に落ちようとも主君を守ると宗門をすて家康公の盾となり守り切ったこと。家康公は家臣に命じて丁重に葬らせ墓を設けて弔わせた。 岡崎・三河にまだまだあまたいる敵対勢力に屈することなく家康公に勇気と三河統合にむけた鞏固な使命感や決意を与えた事件である。土屋長吉公は感謝のことばを賜りながら至福のうちに息を引き取ったという。大河ではその史実からはさほど外れてはいない放映であったものの戦の場所がおかしい大河ドラマは安城市の本證寺での話になっている事実は大久保忠世公はじめ大久保一族の城、上和田城での話である。また、土屋公が主君である家康公を欺いておびき出して殺戮する役目を受けていたなどの流れの中での翻意としての忠義行動として描く。これは同意できない。公の石碑の前で慰霊祭を為してきた友らの思いを踏みにじられた気分になる。 更に大久保一党の武勲と忠義心が軽んじられてはいないか。今後の展開をなければならないが 次週は和睦上和田町の浄珠院での話。我が家の墓もここにある。たのしみである。;