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戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年10月07日
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カテゴリ:旅日記(中国)
旧西国街道の上にも、石段は続く。


      三原・籠恕神社6



石段の途中には、小さなお堂が建っていた。


      三原・籠恕神社8



壁に打ち付けてある板には、不動明王改築うんぬんって書いてあるから、
どうやら中にはお不動様がおられるらしい。
その斜向かいにも、お堂がある。


       三原・籠恕神社7



『三原新四国 第五十三番』

あれっ?
ここからそんなに離れてない古浜入川で第一番だったのに、
もう53番!?
一体、どーゆー分布になってるんだろう・・・


さて、この上に上がったところがいよいよお楽しみの・・・


       三原・籠恕神社10



あ、あれ、これ!?
なんか、イメージと随分違うな・・・

 
 【籠恕(かごぬ)神社(熊野神社)

  当籠恕神社は、熊野権現社と称され「権現さん」と呼び親しまれて参りました。
  元和5年(1619)紀伊より浅野忠吉公が三原城主として入府された時
  その水手(さきて)等が熊野新宮速球大社の御分霊を勧請しここに祝った慶安4年
  (1651)の棟札を蔵す(広島県神社誌に記されてある)とあり、この旭町の
  地に鎮座して380年余の歳月が流れた。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


これだけだとちょっとわかりづらいので、
いつもの三原観光協会様のサイト「海・山・空 夢ひらくまち」より
補足しますと、


 【元和5年(1619年)10月、和歌山新宮城主浅野氏が
  熊野灘の荒波にきたえられた熊野水軍をひきつれ三原城へ入城したとき、
  熊野水軍が崇拝していた熊野新宮をこの地にまつったものです。

  この人達は戦が起こったとき、水軍として参加できるように配慮され
  米田山の麓に住みました。
  毎年の6月9日15日にわたって行われる祭礼には、当時をしのばせる
  特別な作法による勇壮なおみこしが見られます。】

という事なんだそうです。

熊野水軍はつまり、九鬼水軍てことだよな。
この時点では、「元」が付くか。
福島正則の転封後のことだから、隆景ちゃんとは直接の関係はないんだけど、
なぜか私、ここを楽しみにしてた。

素晴らしい建物の写真を見てた訳でも、
浅野氏や九鬼水軍に思い入れがある訳でもないのに・・・
なんでだろ?

まあ、昔っから思い込みの人なので、
意味もなく心引かれるとかいうのはよくある事です(笑)。


こーゆー来歴の神社なので、拝殿の格子の隙間から覗いて
こんな幕を見つけても、間違っても「小早川紋だ猫」なんて言わないよーに。


      三原・籠恕神社12



この場合は、九鬼氏・・・いえ、熊野水軍の紋というのが正解でしょう。

ん?
そういえば、小早川・浅野時代はそれぞれ水軍力を持っていた事になるけど、
その間の福島時代って、瀬戸内の経営はどうなってたんだろ?

福島正則の統治期間自体が短かったし、
徳川幕府が開かれたとはいっても、全体の政情的にはまだまだ
火種を抱えた中での安芸統治だから、そちらの方については色々な話があるけど、
あんまり福島家の領国経営については大きな話題にならないよねえ。



さて、拝殿を見て私が少なからず驚いたのは、
ビジュアルが地味だったってのも勿論あるんだけど、
その脇が結構すごい事になってたからなのです。


       三原・籠恕神社14


なんかもう、廃殿寸前!?って感じなんだけど・・・
脇の道には板きれだの棒きれだのが至るところに散乱してるので、
本殿の近くへ回り込むこともできない。

仕方ない、すきまから望遠で撮るしかないな雫


       三原・籠恕神社13


ちょっと舞台裏は刺激的な光景だったけど、
誰も来ないし疲れたし、そこらにあった大きな石に腰かけて、
チーかまを食べながらしばし休憩・・・

休憩と休憩の間隔が、どんどん短くなっていってるな。
「どっこいしょ」ってところ構わず腰掛けて休んでる
バアちゃんみたいだ、私・・・泣き笑い


       三原・籠恕神社16



境内には緑も多いし、静かな中にフルートの練習曲だけが響いて
ゆったりとした時間・・・
あ、いつの間にか「ユモレスク」から「アルルの女」に替わってる。
これ、小学校の時、給食の音楽だったんだよな~。
アハハハ、そんなことだけはいつまでも忘れないって、おっかしいのぺんぎん


少し休んだ後で、石段を下りて旧西国街道を北へ。
さて、ここからまた寺めぐりだぞお~。
トップバッターは極楽寺(場所はこちら)。


       三原・極楽寺


       三原・極楽寺2



くうっ・・・!!

いっきなり最初の寺でこの景観・・・
コーフンして鼻血噴いて、白い壁を汚したらどうしようとか
真剣に考えた。

それでなくても、籠恕神社の境内は木々で薄暗かったので、
石垣と白壁がやけにまぶしいぜきらきら

しかも、この構成・・・
来てよかった、むふふ黄ハート


 【日照山無量寿院極楽寺は嘉禎3年(1237年)本郷町船木字川西の極楽谷へ、
  浄土宗第3祖良忠上人布教の際、阿弥陀仏を彫刻され開山されました。

  それから約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、
  そして又、城下整備の一環として寛文年間(1661~72)
  城主浅野家の家臣によって現在地に再度移されました。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より。漢数字は戦国ジジイが変換)


というかなり古い歴史を持つお寺ですが、
なんで最初は糸崎なんかに移したろう?
山陽道の押さえということに変わりはないけど・・・


山門の脇の塀には、サカナが立つ。


      三原・極楽寺6



立ってる魚って、近江坂本城の近くでも見たことある。
確か、あちらの方がもっとピーンと立ってたけど(笑)。


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最終更新日  2012年10月07日 10時51分31秒
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