追悼チビーー白血病で逝った子猫の思い出
本日の曲猫の森には帰れない /谷山浩子私の家では二匹の猫を飼っていました。 十年近く飼っている古馴染みの猫は名前を「ニヤー」と言い、 キジトラの、体の大きな、威風堂々たる雄ネコ でして、愛嬌のある、甘えん坊の性格、 ただし、外目は虎みたいな風貌の猫であります。 にゃん画像 こんな感じもう一匹は、一年前から飼い始めた子猫で 名前を「ちび」と言い やはりキジトラ柄、人なっこい、これまた甘えん坊の 可愛い子猫でありました。 ちび画像 こんな感じ 「ニヤー」は、十年前、妻の実家の物置小屋にて 目がまだ見えるか見えないかの、赤ん坊段階の 子猫の状態で妻が保護しました。 この猫の歴史と我々の家庭の生活史がぴったり重なる。 我々が飼うようになって、 長いこと家と外両方で飼う猫でしたが、 宇都宮に住んでいたころ、縄張りに強敵が現れて、 喧嘩による大怪我を頻繁にするようになった。何度も獣医さん通いが続くも、 生まれつき戦闘的な「ニヤー」は、強敵に立ち向かって行く ことを一向にやめない。 それが原因で、妻が睡眠不足からくる ノイローゼみたいになってしまい、もとからある 厄介な難病もーー多分そのことが遠因となりーー 悪化してしまったすべてを回避するため、大いなる決断と共に 宇都宮から 那須塩原へと引っ越したのが三年前。 我々が那須を特別贔屓していた訳ではありませんでしたが、 日光と並び我々には思い出の地でありましたし、 都会や地方でも人口密集地と違い空間の広い 格安物件が借りられる、動物も飼えるのでは? という目論見もありその予測は見事に的中した訳でありますお金持ちが別荘地を物色する感覚で「那須」となったの ではなく、「猫の喧嘩騒動から何としてでも逃げさる」というのが 第一の動機でありました。 また、無類の温泉好きの私は、喜連川の温泉群と並び大好きでありました那須や板室、塩原、馬頭等の温泉群に近づくというのも 魅力でありまして、とりわけ 源泉もさることながら、薬湯が全国でも 飛び抜けております「芦野温泉」 は、その薬効成分が、妻の難病湯治にぴったり合致していた のであります。 古馴染みの「ニヤー」は、引っ越して以降は家猫へ。 これまで外ネコ半分の生活から完全な家猫生活に 馴れるまでやや時間がかかりましたがなんとかうまくいった。去年の5月に、街の路上にて、質の悪い、すれっからしの女子中学生 たちによる軽い イジメに合っていた「チビ」を、妻が見かねて保護。 ひどくやつれた状態の ノラではありましたが、人に飼われていた形跡があり、 人なっこい、よく甘える子猫で、 当初は飼い主さんを探してあげるつもりが、 妻が気に入り、結局、二匹目の猫として我々が飼うことに。妻が気に入った原因のひとつが、 「ニヤー」の子供の時とよく似ている、というのがありました。 獣医さんに予防接種をしてもらったり、 風呂に入れたり、食事も大幅に改善され、 当初、やつれた感じだった「チビ」も すっかり飼い猫らしい風貌となって行った。 後から家族に加わったことに気を使っているような、 遠慮がちなところがあり、 我々が、日本人はこんな感情表現しないよなー、 アメリカ人か、ヨーロッパ人の流儀だなー、という意味合いで 「アメリカ」と名ずけた、積極的な愛情表現 (抱きつく、ほおズリする、我々の鼻に鼻を近ずける、肩に乗る、 体全体を擦りつける)等 どこかユーモラスなところもある、 賢くて愉快な子猫でありました。 心理的バランスを保つのが大変な我々の特殊な生活 の中、「チビ」は、 なくてはならない或る重要なパーツ(気分転換)を受け持ち、 家族の一員として、すっかり我々の生活に溶け込んで いたのであります。 僅か一年とは言え、思い出はいろいろあります。 チビを車に乗せて山奥の温泉地など各地を巡ったこと、 最初は警戒ぎみだった「ニャー」が、「チビ」を仲間として 受け入れたこと等々・・・些細な思い出を含めると色々あります。 ところが、チビと出会って 約一年後、大地震が起きて1ケ月ぐらい経ったあたり で、体調に異変が現れる。 獣医さんに見てもらったところ 病原性の白血病ウィルスに起因する悪性リンパ腫だと告げられる。我々がバットで頭をぶん殴られたごとき大ショックを受けたことは いうまでもありません。我々にとって猫は家族の一員を意味する。 金の問題ではない、なんとしてでも チビの命を助けたいとばかり、我々はすべてを投げ打ち、 全力を投入。高速を使い、遠隔地も含めた獣医さん通いを続け、 技術的に見ても、人格的に見ても栃木で最高クラスの獣医さんと出会うことができました。しかし、治療はーーー人間と同様、現代医学の達しうる限界地点を 指し示しーー 完治するものにあらず、 あくまでも「延命治療」にしかすぎないといわれました。 日に日に衰弱していく「チビ」。痛々しく可哀想なチビ。 抗がん剤治療をはじめたばかりのころ お察しのように ここしばらく我々の悲しみと苦悩に は言語を絶するものがあったのであります。ちょうど、 私が遠方へと仕事で行く予定の前日の朝でした。 もはや動けなくなったチビを囲み、 私と妻は「ニャー」も近くに置いて、 我々の色々な思い出話を長時間語り合ったのであります。 あたかも、家族の 最後の団欒を記憶にとどめるかのようにして、この日 チビはあの世に旅立ちました。 一年前、出会った時の子猫の姿のままで・・・・・・。 「チビ」は我々の記憶に永遠に残り続けることでしょう。