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みなさん、花粉がすごいから、黄砂がやばいから、となんだかんだ理由をつけてなかなかウォーキングを続けられないハピパンです。^^
![]() がんばれ日本 がんばれ東北 徳を積んで人間力をあげてハッピーになろうという話をしてきた。 反対に徳を失ってしまうことがある。 「それって、どういうことですか?」 「逆をすること。人の心を暗くする、人の心を重くする。だからいつも心配そうな顔をしてる人と笑顔の人では、もうそれだけで徳の量が全然違うことが分かるんだよ」 「例えば、人のことを褒めてあげたり、『明るくして元気に行こうよ』とか、『大丈夫だよ』とか言う人には徳がどんどんついてくる。反対に愚痴とか泣き言とか嫌味とかを言ってると、人の気持ちをどんどん暗くするから、徳がなくなる。」 ![]() 「それから例えば、一生懸命人に親切にしたとする。それなのに、先方からまったくお礼が来ないとするよね? その時、『せっかくあそこまでしてやったのに、あいつはお礼の一つも言わない』なんて愚痴っぽく思ったり、言ったりすることがあるとする。こうなると、もう『徳』はたまらなくなるんだよ。」 結構、条件厳しいよね・・・。 「徳っていうのは、『人が喜んでくれるのが、自分の楽しみ』って思えた時に通帳の中にチャリンってたまるんだよ。見返りなんて期待してないことなんだよね。正しいことを楽しんでやるようになることが、『徳』を積むってことなんだよ。それなのに、相手からの感謝や見返りを求めて、『あの人は感謝を知らない』とか言い出した時に、それは徳じゃなくなるんだよ。」 僕もこの話を聞いた時、とても分かりやすい例を示して教えてもらったおかげで、徳の意味がだんだん分かってきた。僕なんかは特によくやりがちなことだ。相手に喜んでもらいたい、と思っていいことをしているが、その心の底には、相手からの感謝やお礼をわずかに期待している自分がいる。だから相手からお礼がないと腹が立つ。もちろんそこでは僕自身お世話になった人にそれができているかどうかは棚に上げている・・・。 「これだけしてあげたのに、お礼もないなんて、なんて失礼な奴だ」 ![]() そんなことを言いながら人望を得るなんて、そりゃ土台無理なことだ。僕だってそんなことを言っている人を見たとしたら、「そんな小さいこと言うなよ。自分が好きでしたんだろ」と思うだろう。そうは言ってもそれが自分の立場となると、そうは思えない自分がいる。人は他人のこと見て、どんな立派なことでも言えるが、自分がやってみろと言われると、なかなか出来るもんじゃない。 振り返ってみると、自分自身、捨てた徳の多さに思わずへこんでしまう。 ~人の喜ぶことを楽しんでやれると徳がたまる~ ~今日のハッピーメッセージ~ うつむかないで。 顔をあげて、空を見て。 自分という枠の中でなく、 相手や、他の人のことを 少し、考えてみませんか。 「あの人に何をしてあげられるだろう」 「この人に喜んでもらいたい」 それだけで、気分は変わります。 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。 感謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちわ。先輩のブログ発見!新潟の後輩です。だれかわかりますか?旭南のブログと東○先輩のブログ、たまに遊びにきます。
(2011年05月12日 18時21分14秒)
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