石見銀山へ…(3/27)
世界遺産登録から10年 昨夜は再開発が進んでいる広島駅の地下街やデパートを歩き、夕食は例によって名物のお好み焼きで済ませた。ホテルは広島駅北口に直結していて便利だった。マツダスタジアムまで歩いて10分だから、高い料金が気にならないなら野球観戦に格好のホテルだ。「お好み焼き」(夕食時のお店には行列が出来ている、手軽で庶民的なところがいいのだろう) 広島市内から石見銀山(島根県太田市大森)までは北に約115kmである。その約半分は高速道であるが、この経路がちょっと複雑である。 山陽道を8kmほど西に走って広島自動車道に入る。17kmほど北に走って広島北JCTで中国自動車道に入る。さらに中国自動車道を12km走った千代田JCTからやっと浜田自動車道に入る。その浜田自動車道もたった12,5kmしか走らない。千代田JCTから最初のICである大朝ICで一般道に降りる。 そのあとは、カーブの多い一般道を走る。中国山地はなだらかな山地ということになっているが、小雨が降っているせいもあって寂しくて山深い里を走りつなぐドライブが続いた。 14時過ぎにやっと「石見銀山世界遺産センター」に着いた。ここには遺跡の概要について展示してあった。本来はここの駐車場に車を置いて徒歩で見学するようだ。しかし、雨模様だったので車進入禁止地区の手前まで走って、石見銀山資料館の前に路上駐車する。「石見銀山資料館」(石見銀山を支配した江戸幕府の代官所を資料館に再利用している) ここから1kmほどが街並み地区になっている。現在も生活している家がほとんどであるが、当時の景観を維持するこのに地域全体で力を入れてあるようだ。「レンタサイクルでの見学」(今日は平日だが、休日には多くの自転車で混雑するだろうと思われる) 我々は資料館を出たあと街並みに沿って歩いた。古い昔ながらの大きな屋敷も残っていて、カフェや土産物店として活用されている家もあった。途中で昼食を摂っていなかったことに気づいて、一軒のお店に入って甘酒を注文した。「郵便局もレトロ調」(観光客の車は入れないが、地元の車は走っている) この石見銀山は戦国時代からその存在が知られ、戦国大名たちの争奪戦が行われた。江戸時代に入ってから江戸幕府の直轄地となり、最盛期には日本の銀の大部分がここ石見銀山から産出されたという。銀鉱石の発掘から精錬までがこの地で行われ、多くの人が銀山の作業に従事した。「花飾り」(多くの家では竹筒などを利用して花を飾ってあった) 自転車で廻るよりも、我々は歩いたのできめ細かく観察することができた。時間が自由にならないのは不便だが、一番いいのはガイドさんに案内を頼むことだろう。「観音寺から見た街並み地区」(高台にあるので街並みの広がりを眺めることができる~北側の展望) 石見銀山公園の近くにあった五百羅漢を見学する。小さな川に面した岩窟にたくさんの羅漢さんが並んでいた。参観料500円を払ったのに写真撮影禁止というのが情けない。 海外では多くの場所でノーフラッシュの撮影なら自由である。日本の博物館や展示館では撮影禁止が多すぎる。絵はがきが売れなくなるとでもいうのだろうか。SNSなどで写真を拡散してもらった方がよっぽどPRになると思う。「撮影禁止」はとてもナンセンスだ。「この日の夕食」(遺跡地区にある数少ない宿で、古い家屋を改築して最近開業したという) 「二人に一杯、カニがつきます」といううたい文句を裏切らないおいしいカニだった。部屋はベッドにバスタブの現代風だったが、レストランの配膳の人がおだやかで話していても知性を感じる人だった。居心地のいい宿だった。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村