竹に登る(7/7)
こうして私はバカオスの恐怖政治から逃れる術を獲得し、周囲にも「試してみなよ」とふれて回ったが、そもそもこれは登り棒の基礎技術を持つことが前提であるためか、思ったより流行はしなかった。それに、逃げられるとわかっていても、突進してくるバカオスの迫力はやはり小学生児童にとって怪物的な恐ろしさであった。バカオスの前でひょこひょこ踊ってみせて挑発しては、僅差でかわして竹に登って高笑いするような者は、私ひとりだったようだ。というか、考えてみたら相当に性格が悪い。あまりに頻繁に同じパターンのトムとジェリーをして遊んだもので、やがてその姿は校長先生に目撃され、学校文集の冒頭の「校長挨拶」でネタにされてしまった。バカオスが立ち去ったあと、何食わぬ顔で鶏らに餌をやっている姿まで描写され、「このような逞しい子が我が校で育っているのです」ということになった。バカオス、すまん。飼育委員の顧問の先生には、「あんまりバカオスをからかうな」としっかり釘を刺され、ハァイとお返事だけしておいて、また竹に登っていたりする。そのうち登られ続けた「ほどよい竹」は、一本だけ周囲と違う元気のない剥げた黄緑色に退色し、すっかり斜めにかしいで、もうカンベンしてくださいよと言いたげな風情になっていった。竹も、すまん。ほどなく飼育委員のひとりが、「飛びつかれそうになった瞬間、両足を揃えて立ち、膝でそっと胸のへんを押し返すと、バカオスは何もできなくなる」という、ガンジーばりに非暴力不服従な対応策を開発するに至る。なんという崇高な方法であろう。いろいろ雲泥の差……と、竹の上で反省したり、しなかったり。子どもらの、そんなこんなの苦心をよそに、バカオスは毎日、戦う相手を求めて、静かな中庭を闊歩していたわけだ。(『竹に登る』了)