テーマ:日々自然観察(9983)
カテゴリ:日常生活
今日は雨が降っています。
イタリアの古い「歌謡曲」を聞きながら、パソコンで「温室効果ガスの排出の要因と推移」などという楽しくない資料を読んでもすぐに気は散って、窓の外のしとしと降る雨を見ていたら、どういうわけか、x十年前に観察/捕獲していた野ネズミ、とりわけ、森に住むアカネズミやヒメネズミのことを思い出し、雨の降る富士の樹海で何をしているだろうと空想の世界に入ってしまいました。 折からCDの歌は「I like Chopin」という曲。昔、なんとかいう女の子が日本でも歌ってましたね。この曲の中の「 rainy days never say goodbye」というフレーズだけが耳に入ってきて、雨にぴったり。 なんとなく物悲しくなります。 で、野ネズミなんですが、大学の卒論では、先生だった元夫の指導で「ヒメネズミの成長」をテーマに書きました。 富士山麓で生け捕りしてきたヒメネズミを飼って、妊娠していた状態でとらえられた雌が赤ん坊を産むと、毎日その赤ん坊を巣からこっそり取り出して、計測したり、行動の変化を記録して、成長過程や様子を書いたのです。 これに何の意味があるかは?ですが、当時の国内外の論文や本にも、野ネズミ一般でも、子供の成長についての記録が少ないので、まあ、出す意味はあったというか、、、。 これはこれで面白くて、母親が死んでしまって孤児となった赤ん坊ネズミにスポイトでミルクをやったり、冷えないように懐に入れて持ち歩いたこともあります。 野ネズミ(家ネズミもですが)は約15日で若者に成長し、巣立ちします。つまり母親なしでも自分で餌を探し、生きていけるようになります。 野ネズミの生け捕りのために、よく富士山の樹海でキャンプして、生け捕りわなを森の中にしかけました。 やっているうちに、アカネズミ(開けた森林にすみ、おもに地上を動く)やヒメネズミ(暗い森林にすみ、おもに樹上で生活、細い枝でもするすると走ることができる)の生活のかいまが見えてきます。 夕方になると木の根元の洞穴なのでの巣から出てきて、地上や樹上の木の実などの餌を探しに出かけるの。 雨の日はどうしているんだろう。 葉のかげなどにじっとして、ひたすら雨があがるのを待つのでしょうか。 それとも、雨が少なくなったら、出かけるのかな。 ヒマワリの種やオートミールをまいて、ネズミたちが食べにくるのを観察したことも何度かあります。 息子が5才ぐらいのとき、富士山麓の森でずっと、じっと待っていたら、息子の目の前にヒメネズミがあらわれて、彼の前に立てられた(彼の父親の手で)棒をするするのぼって、小さなメッシュのかごに入れておいた種を食べ、綱渡りのように水平に張っておいた針金を歩いてわたってしまいました。 息子はネズミを驚かさないように、びくとも動かずにじっと静かに、ネズミを見つめていたっけ。 「ネズミはね、さて腹が減ったから餌でも探そうかと、外に出たと思ったら、一瞬でフクロウの爪にかけられて、フクロウに食べられてしまうことが多いのさ。 人生というのははかないもの。ネズミの一生と同じ。 生まれ、成長し、餌を探し、繁殖し、あるときポンと死んでしまう、それだけのこと。それ以上を望んではいけないんだ」 元夫が言ったこの言葉がいつまでも耳に残っています。 毎日、食物を探して、食事を用意して、おいしく食べられて、、、、眠る場所があって、雨宿りの場所があって、、、、それ以上を望んではいけないのかもしれません。 人生には何かすっごく大きなことが待っているような気がした時期もありましたが、前はすっごく大きな事に思えた事が実現してしまうと、「なんだ別にたいしたことではなかった。バゲットが焼けたときの感動とあんまり変わらないじゃん」と気抜けすることも多いのです。 ネズミは人生に大きな期待をかけることもなく、毎日けんめいに餌を探しに出かけ、ちょっとした物音でもさっと身をかくして、フクロウなどの天敵から身を守り、また恐る恐る物陰からでてきて、餌探しを続けるという生活をして、あるときぽんと誰かにつかまって死んでしまうだけ。 それでいいんですね。 富士の樹海の物陰で、ヒメネズミがひくひくと鼻を動かしている姿が目に浮かびます。 あ、今とつぜん思い出した。 あの歌を日本で歌ったほっそりした女性は、小林麻美さんという名前でした。 ネットで見たら、歌の日本でのタイトルは「雨音はショパンの調べ」だって。 余計なこと心配しないで、資料読みに専心しなければと知りつつ、想いは色々なところに飛んで行く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おはようございます。
シュタウフェンの街は、さすが観光地だけあって美しいですね。 空気感が日本のものと違う気がします。それに、そちらはお天気がいいと20度にもなってるんですか? なんか私の無知さというか、まだまだ寒さ厳しい時期なんだと思っていました(恥) 野ねずみの話、面白く読ませていただきました。 そこでひとつ。富士の樹海とありましたが、野ねずみの捕獲になぜソコなんですか??(愚問?) (2012/03/19 08:17:26 AM)
こんにちは。
中部ヨーロッパは緯度も日本より高いので、薄暮時がとても長いし、空気が乾いているので、モンスーン地方の日本とはかなり違いますね、やっぱり。 今日はまた寒いです。日中も10度くらい。ただ、ここフライブルクはドイツで一番暖かいところなので、他のドイツよりずっと気温が高くなることがあります。でも、全体としては日本の関東以南にくらべれば寒いですよ。 無知だなんて、そんな他の国の気候のことなどいちいち知っていたらきりがないですよーん。 学生の頃よく樹海に出かけたのは、確か元夫が国際生物プロジェクトなんたらというのに参加していて、樹海(世界でも有数の貴重な原生林の一つですから厳重に保護すべてき森で、今のように別荘などを建てて切り刻むのは犯罪的です)のほ乳類の状況調査の一つとして罠で捕獲して記録をとったのです。それと樹海にはヒミズとヒメヒミズという2種類の食虫類(モグラの仲間ですが、モグラよりはずっと小さくて半地下生活者)が同じところに住んでいて、その棲み分けを元夫が調べていたこともあって、よく出かけたのです。結婚してからは、自宅でモグラたちや野ネズミを飼育観察していました。現在の彼は飼育とか捕獲を拒否し、自分が自然(岩手が中心)の中に出かけて行って、動物達が自分のところにやってきてくれるように工夫しているようです。 (2012/03/19 10:14:44 PM)
>生まれ、成長し、餌を探し、繁殖し、あるときポンと死んでしまう
年をとるにつれ、本当にその通りだと思います。 アメリカで学生だった頃に心理学を専攻していたのですが、 動物の欲求はピラミッド状に段階があり、 底辺は食欲や身の安全の確保等どんな動物にも共通の原始的な欲求、 上に行くほど複雑な社会的生活に関連する欲求が発生し、 頂点は「自己実現への欲求」だと習いました。 当時は若かったし血気盛んだったので(今と比較すると)、 なるほどその通りだと思ったものです。 その後、日本の作家さん(だったと思います)の 「自己実現なんて存在しない、幻想だ。」という旨の発言を聞き、 当時はがむしゃらに働いていた時期だったので、 そんなことはない!と感じたのも覚えています。 年齢を重ね、生活もシンプルになり、自分の欲求、幸せと感じるものは 案外些細で複雑じゃないことに気付いてからは、 生きることが楽になったと思います。 平凡で変わらぬ毎日。 家族や友人と気楽に笑える毎日。 美味しく食べ、寝て、次の日が来てまた食べ、寝る。 大きなことを成し遂げなくても、十分自分の幸せは見つけられるものですよね。 思えば「自己実現」はアメリカ人が特に好むテーマのような気がします。 若い頃はそのために疲弊した部分もありますね、今振り返ってみると。 自己の理想を具現化して社会に貢献されている人は大勢いますので それはそれで尊敬しますが、ワタシは「ただ生きて、死ぬ。」方が 性に合っていると思うこの頃です。 (2012/03/20 10:22:58 PM)
そうそう、若い時は自己実現しなくては生きている意味がない、などと傲慢な意欲を抱いたものです。それはそれで、何かに挑むモーティベーションとしては良かったとは思いますが、自己実現はパン焼きみたいな、一見小さく見えることでも可能だし、充実感をもたらしてくれますね。
毎日の幸せは小さなことの積み重なりだし。 歳をとって、物事に前ほどはこだわらなくなった自分を発見して、これだけは年齢を重ねることのポジティブな面だと思いました。 心理学を専攻されたんですね。昔、心理学を学ぼうかと思い立った時期がありましたが、怠け者なので結局手を出さずに終わりました。 大志を抱いて、社会や世界に貢献することも大切ですが、それを実践している方も、もしかしたら自分のしたいことをしているに過ぎないのかもしれません。偉大な小説家が「書きたいから書いているだけ」とよく言うように。 小さくても自分にできることで社会に貢献しつつ、あまり人生に多くを期待せずに、なんとなく終わる、それでも幸せだと思います。 (2012/03/20 11:07:52 PM) |
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