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フライブルク日記

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2014/11/15
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カテゴリ:プライベート
A君は彼の姉達が嫁いでいったあとも、彼の叔母である、私の祖母の家に祖母と二人で暮らしていた。
高校を出たあとに、小さな証券会社に就職したと、祖母と母が話しているのを耳にしたことがある。

A君は人から聞かれれば「エー」とか「まー、そうです」ぐらいのことは言うが、自分から何か話し出すことはほとんどなかった。
我が家に来てくれたときに、母がおやつに出した、夏みかんの砂糖かけを食べ終えて「マーマレードみたいで、おいしかった」と言った。
彼が積極的に発言した唯一の言葉のように、私の耳には聞こえた。生の夏みかんをマーマレードにたとえる感覚が、新鮮でもあり、八才年下の私からみても、子どもじみているうようにも思えた。

正月休みや夏休みに祖母の家に泊まりにいくと、A君はよく遊んでくれた。
私が12才ぐらいの頃、祖母が台所で食事の用意をしている間、こたつを台にし、手をラケット代わりにして、卓上テニスのようなことをしてA君と遊んだことがある。
ボールがどこかに飛んでいくたびに、A君が「アッ」と面白い仕草をするのがおかしくて、私はケラケラと笑い、とてつもなく愉しかった。
いつまでも、いつまでもこの時間が続いてほしい、と思うほど、くったくなく愉しかった。
ゲームを一通り終えたあと、A君が「ハイ、握手」といって手を差し出した。その手に触れた私の手に、電気が走ったような気がした。

A君は台所の隣、かつて祖父が生きていた頃には茶の間に使われていた小さな畳敷きの部屋に自分の机を置いていた。
夜になって、祖母が寝室に引き取ったあとも、パジャマ姿の私はA君の机のわきに立って、A君ととりとめのないおしゃべりをしていた。何の話をしたのか、まったく覚えていないが、これもなぜか愉しくて、座敷に祖母が敷いてくれた布団に行きたくなかった。
良心のとがめを覚えながらもだらだらとだべっていると、ついに祖母がやってきて、いつになく厳しい顔で「チーちゃん、もう寝なさい」と言った。

座敷の仏壇の隣に祖母は自作の数々の人形といっしょに、写真を飾っていた。
その一枚には、A君が写っていた。公園を背にしたスーツ姿の写真を見て、アッと思った。
この顔、いつか雑誌で見たアラン・ドロンとかいう俳優に似ている。彫りの深い顔立ち、大きくてくっきりした目。当時の私の目にはそう見えた。祖母の家の三つの和室はふすまで間仕切りされているだけで、昼間はこれらのふすまも、部屋と廊下を隔てる障子も開け放されていた。
A君が夜眠る部屋の鴨居に、彼のワイシャツが掛かっていた。そのそばを通ると、フンワリと快い香りがした。
香水のようにどぎつくもなく、石けんの香りとも違う、やさしい香り。
私はその香りがかぎたくて、何度も何度もワイシャツのそばを通った。

夏のある晩、座敷の布団の中で、いつまでも眠れないでいた。
隣の和室にA君が眠っている。暑いので、間仕切りのふすまは開けたままだった。祖母は廊下を隔てた板の間の寝室に祖眠っていた。
ふと気がつくと、暗闇の中で、A君が枕元まで来ていた。
小声で「これ、貸してあげる」と言って、イヤホーンつきのラジオをくれると、自分の部屋に戻っていった。

我が家に戻ると、母がいきなりこう言った。
「チーちゃん、もうウナちゃんちに泊まりに行くのはやめなさい」
「どうして?」
「どうしても。もうあなたも中学生なんだから」
ふだん、声を荒げることのない母なのに、このときの声は有無を言わさない調子があったが、こういう命令が下るのは予想がついていたような気もした。

それ以後、A君を見かけるのは、正月に父母と弟と祖母の家に出かけるときだけぐらいだった。
たまには、母といっしょに祖母の家に泊まる機会すらあったが、そんな折、A君のところに泊まりに来ている女性に出会うこともあって、人の良さそうなその人に挨拶すらした。彼の部屋のふすまも障子もぴったり閉じられていたのは言うまでもない。

「A君、彼女がいることはあっても、結婚する気配がないんだよ」などと祖母が母に愚痴っていたこともある。
私が大学生になり、祖母が他界したあとも、当時28才ぐらいになっていたA君は、一人で母の実家に住み続けていた。

そのことを、当時のボーイフレンとに話したことがある。彼は彼の母親にそれを伝えたらしい。
ある日、ボーイフレンドが私に「そのA君にいい見合い話があるんだけれど」と言った。両親の知り合いに埼玉出身の女性がいるんだそうだ。

母にこの話をすると、「あんたたちだけで進行するなら、勝手にどうぞ。私たちはタッチしないから」。
しょうがなしにA君にじかに電話をすると、相変わらず「ハー、エー」でしたいともしたくないとも言わない。
だから、話はボーイフレンドの親が進めるままに進展して、いざお見合いということになった。
相手の女性の側は両親が付き添い、仲介役はボーイフレンドの両親、A君の付き添い役、つまり親代わりは8才年下のワタクシが務めることになった。
人生で経験する二回目で最後のお見合いだった。
A君はわたしの後ろを背をかがめて付いてきた。顔の彫りはいまだに深く、目はつぶらで大きかったけれど、アラン・ドロンの面影はないように見えた。
相手の女性は大柄で、もの静か、お化粧も薄く、控えめだった。
「本日はお日柄もよく、、、、」というテレビのドラマの台詞のようなことをボーイフレンドの父親がつぶやき、しゃちこばった会話の少ない食事の席が展開した。食事も会話も内容はまったく覚えていない。

それから日がたって、ボーイフレンドがしばしば私に聞いた。
「A君の意向はどうなの?相手の女性は乗り気みたいだけれど」。相手の女性もA君にアラン・ドロンの面影を見たのだろうか。
聞かれる度にA君に電話をかけて、「どうしたいの?」と聞かなければならなかったが、A君は毎回「えー、まー、別にその、なんというか。考えさせてください」ぐらいの返事しかくれなかった。

一ヶ月、それとも二ヶ月以上たったある日、ボーイフレンドが私に言った。
「この話はなかったことにしてくださいと、A君に伝えて」と。
あ、こういうときに「この話はなかったことに」という言い回しは使うんだ、というのが私にとっては新鮮な発見だった。
両親はこういう表現を一度もしたことがなかったので、実際にこの言葉が使われる例をはじめて実体験したのだ。
A君にもそのまま、この言い回しを伝えた。彼は「あー、そうですか」と言っただけだ。

その後、A君に会ったのは、母が逝ったときだけだ。
60才に手が届こうとしていたA君は、とても小柄に見え、萎んでしまったように見えた。
「お元気?」と聞いても、「はー、まあ」という言葉しか返ってこなかった。
A君、いまだに独り身だったようだ。








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Last updated  2014/11/16 12:37:40 AM
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