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カテゴリ:日々の暮らし、あれこれ
昨年から、上野まで40分ほどで出かけられることもあって、東京国立博物館や国立科学博物館通いを時々するようになった。
博物館の休憩室などにはいろいろな美術館や博物館の催し物がパンフレットが置いてあって、奥村土牛、黒田清輝、若冲、カラバッジョ、鈴木基一、円山応挙、ゴッホとゴーギャンなど月に一度くらいユックリ観て。慣れないので一つの展覧会でくたくたに疲れ切って。 一回見てもなんかよく分からなくって、時々休憩してまた会場を見て回ったり、順路に従わずに気に入った作品をじっくり見たり。 美術品って、現代でもそういう面があるとは思うが、神社仏閣や皇室、貴族、武士など権力者が愛好したもので庶民が手にできたのは、江戸時代の版画位からか。 一方、そういう豪華絢爛たるものを作る人や愛でる人がいるのに、其の日のコメにも困るような人が古からあまたといた。現代でも、複製のはがきを買えるくらいのことはできるだろうが、本物を自分のものにできる人はごくわずかだと思う。 美術を鑑賞するたびに、なんとなくそういう後ろめたさみたいなものがある。 しかし、日本画のその美しさを見ると、やはり純粋に絵師や彫刻家がどんな思いで自然(人間を含む)、その見るという行為から発生してその美を表現していくという行為に崇高さを感じるのもまた事実で。 京都の八百屋の倅が40代くらいで家督を兄弟に託して禅にも帰依して絵を描き続けるという人生。若冲の事なのだが、とにかく圧倒されて「物を観る力」の凄さに驚嘆した。 絵を見るようになって、物の見方が変わってきた自分がいることも事実で。 鈴木基一もすごく、そして酒井抱一、円山応挙。 広重の版画や北斎の版画。 今年の前半は、日本人はなぜ死を恐れ死を逃れようとして、死を認められず、老衰により最期を迎えることを受け止められないのか、という問いが私の中で渦巻いていたが、東京国立博物館での「禅-心を形」にをみて、日本人の暮らしに「禅」が現在も息づいていることを知った。 たまたま「禅」を見る前に、義兄が72歳で心筋梗塞で急逝し菩提寺が臨済宗の恵林寺であったこともあり、「臨済宗」を知る契機になった。 自然に感謝しながら食べ物や飲み物をありがたくいただく、とか、10きいて10を知るのではなく、一をきいて銃を知るなど、幼いころから祖母や両親など大人に言われていたことが、仏教の教えにもあると。 人間はおぎゃーと生まれてから仏になるための修業が始まるという考え方は、何事にも損得を考えずに取り組むとか、日々の暮らしの中で息づいてきたものなのだろう。 現代にそういう考え方が生きているかというと、人それぞれだろうが、全く0になっているわけでもないはずだし、実家は曹洞宗だけれど、禅的なものがまだ家の教えに生きていた時代に育てられた。 日本画の絵師たちも何らかの形で仏教とは縁があり、日本文化も仏教に強い影響を受けてきたものなのだ。 洋画はギリシア神話やキリスト教そのものであり、そのキリスト教も不況が進む中で様々な国の土着の文化やその地域性(風土)に影響を受けている。そんな風に考えると、どの国がすぐれていて別の国が劣っているという優劣で地域やそこに住む人を評価するのは間違っているのではないか。 日本にいる中でも、古今東西の文化に触れることができ、そのことでまた自分を見つめなおすこともできる。 美術館や博物館に通って色々なものに触れることで、自分がこれまで思い込んでいたものが少しずつ別の形に変容しようとしている。 小学生高学年になったら、我が家では父から英語を教わるのだが、物覚えの悪い私は毎度毎度叱られてばかりでその時間が苦痛でしかなかったが「多国語を知らざる者は自国語を知らず」という教えだけは妙に覚えていて、日本語を英語に訳したりするとかえって理解しやすいこともあってなるほどと納得したこともあった。文化もきっとそうで、他行の文化を学びことをすれば、自国の文化を必要以上に自慢したり他国を否定することもなくなるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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