カテゴリ:須恵の話
「すえドン」の「須恵」、そう「須恵器」を焼いていた登りがまです!! 平安朝の土器がまは、唐の文化の影響を強く受けています。 しかし、旗見の須恵器は中国文化の影響が間接的にしかみられないのが特徴です。 昭和42年3月に同志社大学文学部森浩一助教授が発掘調査をしています。 場所は高越山の山麓の丘陵にあり、さの山裾には古墳もいつくか存在しています。 私の住む所はその丘陵を下った所で、「季邦」とかいて「すえくに」と読みます。 何か因果を感じてしまいます(^ ^ ; 5月の連休に、最近は岡山へトライアルの大会に1泊2日で出掛けています。 行く途中、四つ足堂を捜しながら会場まで行く事を楽しみにしています。 岡山県には四つ足堂がたくさんあるのです!! 詳しい事はカテゴリーのお堂を見てください(^ ^ ;♪ 今年は少し道順を換えて瀬戸内市長船町にある「須恵の里」を訪ねてみようと思っています。 ここはかつての「須恵郷」で、須恵器の生産工場だった場所です!! 趣味のトライアルだけでなく、行く道中にいろんな楽しみ方をしている私です♪ (*⌒▽⌒*)♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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