テーマ:たわごと(26743)
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2007年に
名古屋市で見ず知らずの女性を殺害した「闇サイト殺人事件」ですか? その容疑者に 最高裁は上告を棄却して、死刑が確定したそうです。 TVニュースで 彼女のお母さんは。 きっと娘が知らせてくれたのでしょう。と。 何でも 事後、この容疑者には 碧南市の夫婦強殺の余罪も見つかって 下級審では、併せて?死刑判決が出たようです。 生きていれば 明日で娘は43歳です。 その13回忌の法要に この死刑確定を、きちんと報告することが出来ました。 そういう お話でした。 死んだ子の年を数える。と言いますか。 ほんと やりきれない思いで一杯なのですけれど。 これ 英語に類語を探すと Crying over spilt milk.なんですか? ………。 池袋暴走事故で 奥さんと娘さんを同時に亡くされた遺族さんが 加害者さんに より厳罰を求めて署名を開始したとかニュースでやっていました。 そりゃ 人生で大切なもの一番目と二番目を同時に失っちゃったんだから それは そうなんだろうな?とは思いますよ。そりゃ仕方ない、って。 でも どうなんだろうな? あたしの感性とは、ちょっぴし違うのですよ? 己が人生で 大切なものが何ひとつない、あたしが言うのも何なんですけど。 中学時代に読んだ 庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』。 作中で 主人公♂クンは。 脚を痛めて 親友の理不尽極まりない心の葛藤を聞かされて、悔し涙を見せられて。 さらに兄の友達の結婚を通し ヒトは生きていくために ときとして自ら喜んで暗愚を装わざるを得ないと知って。 じくじくして 忸怩たる思いで 痛い脚を引きづって夜の街を彷徨することになる。 そのとき 主人公♂クンの思考は先鋭化して、し過ぎて。 もし 彼女の由美が誘拐されて殺されたとしたら ボクは 泣き喚いて世間の同情を買ったりしない。 考えて、考えて、死ぬほど考えて ボク自身で犯人を見つけ出して 絶対、ボクに容疑がかからない方法で、確実に打っ殺してやる。 まだ あたしも若かったからかも知れませんが。 当時 主人公♂クンの この激情への絶対的なシンパシーを未だ忘れられません。 いくら あたしたち人類が、社会的動物だとしても いくら ムラ意識や、お仲間クラブや、家族があったとして それでも あたしたちは、それぞれに絶対的にひとりなんだと思うのですよ? ならば 最愛のもの、人生で大切なもの一番目や二番目は 何が何でも まずは自分自身で決着を付けたいと考えるのが自然じゃないですか? ただ いまは世紀末、北斗神拳の世界じゃありませんから 自分自身で出来ることは、たかが知れている? どころか 出来るだけ司法制度に委譲して、原則、リンチ(私刑)は厳禁されている? だから 世間さまに訴えて 己が無念を晴らしたい、ってのは いまや 唯一の方法かも知れません? ただ それでも どこか、あたしには合点がいきません? 完全犯罪でも何でもして 最愛のもの、人生で大切なもの一番目や二番目に関しては 何が何でも 自分自身でケリを付けたいのです。 それが できないようなら それは もはや、そこまでなんじゃないのか?と。 何でだろう? いまだ 死んだ子の年を数える、冒頭のお母さんにしても 最愛の母子を亡くした遺族さんの署名活動にしても 彼女ら彼らの憤怒、抑えられない怒りより 物悲しさしか伝わってこないのですよ? べつに あたしは、人権派市民団体さんでもないですし、死刑廃止論者でもありません。 ただ、ただ 死んだ人は、もう二度と甦(よみがえ)っちゃこない。 それを 世間さまや社会に、どう訴えたところで ひたすらに 侘(わび)しいだけじゃないですか?…違いますか? そこには 己が全知全能をかけて、相手を追い込み打っ殺すって、一時的な高揚感もなければ いくら 世間さまに同情してもらって、誰も彼もから温かい言葉をかけてもらったところで 心の中に すっぽり開いた風穴が埋まることはないでしょう? ならば けっきょく ひたすらに侘(わび)しいだけじゃないかしら?と。 遺族さんの呆然自失・喪失感は あたしみたいな外野席から、ああだこうだ言ったって それこそ 何の意味もないことだと思います。 望むらくは過ぎゆく時間が すこしずつ、すこじずつでも傷付いた心痛を癒してくれるのを願うばかりです。 ただ あたしたちは 隣国みたいに昔のことばかり蒸し返して、ひたすら恨(はん)を重ねる無能無為じゃなく。 今後に向け 社会制度として、やることがあるような気がします。 いくら 泣き叫んだって、同情したって 死んだ人は、二度と甦(よみがえ)っちゃこないんですよ? だったら この場合の温故知新は 過去の犠牲者から、今後の犠牲者を慮(おもんばか)ることでしょう? 必須なのは クソしょうもない犯罪者人権重視の 犯罪抑止力うんうん以前として 速攻の犯罪抑止・阻止じゃないのかな? つまりは こいつヤバいと感じたら、公安さんは米仏みたいに問答無用で射殺すればいい? ヤク中容疑で 収監直前に、数人の警察官を振り切って逃走って…何だ?それ。 で。 そいつが捕まるまで近辺の小中学校は臨時休校で、商店街は日がな一日シャッター三昧ですか? 収監時に 抵抗すれば射撃するのと、小中学校の休校・商店街閉鎖と どちらが、より社会的負担が大きいんだ? とか言うと 人権派さんは 小中学校の休校・商店街閉鎖と、たとえ被告とは言え人命と、どちらが大事なんだ?とか まったく理不尽な愚問を突き付けてきて あげく 日本は未だ米仏の苛酷な逮捕術から十年以上は遅れている? あの、さ。 どうして 容疑者が逃走すると 近辺の小中学校は臨時休校になって、商店街はシャッターを降ろすんだ? それは 人命VS社会的損得じゃないんだよ? 容疑者さんの人命VS子どもたちの人命and商店街の人命なんだよ? けっきょく 人権派さんは 容疑者さん加害者さんの人命を重視する余、その他大勢たる、あたしたちの人命を軽視し過ぎた? もう そんな理想論は通用しないでしょう? 傍迷惑なキ○ガイ・オヤジを 周辺住民とのイザコザ時点で収監とまでは言いませんが、要注意人物とマークしていれば。 かつ ガソリンを購入した時点で、公安さんが射殺していれば 世界に冠たる京都アニメーションが焼失することはなかった? それに 冒頭のお話じゃないですけれど 一遍、死んだ人は、二度と甦(よみがえ)っちゃこないんですよ? だったら 将来のあたしたち、その他大勢の人命のため もっともっと 毅然とした、臨機応変に射撃していいとする、速攻の犯罪抑止・阻止もあっていい? リンチ(私刑)を厳禁にしたのなら もっともっと 将来のあたしたち、その他大勢の人命を考えなよ? そりゃ 容疑者さん加害者さんの人権も大切でしょうけど 今までみたく、そればかりでは 死んだ子の年を数える、冒頭のお母さんにしても 最愛の母子を亡くした遺族さんの署名活動にしても 一所懸命 世間さまに訴えれば訴えるほど、侘しさが増すばかり? そういう 彼女ら彼らの憤怒や将来への不安よりも 物悲しさしか伝わってこない社会構造は変わりようがない? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年07月19日 23時02分58秒
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