子育て支援等では人口減は 熊野
子育て支援、観光政策、地域協力隊員・・・このようなもので本当に人口減少が止まると思いますか悪いとは思いません、何もしないよりはましですがどこの自治体も行っており市町村間、都道府県間の人の争奪戦ではあの高所得者優遇のふるさと納税とよく似ています(税の争奪) 昭和36年頃の私と祖父 子育て支援大人になるとほとんどの方が熊野を出て行きます高校卒業後の就職先は県外 進学先は大学受け入れ数の少ない三重県(確か全国最下位?)ですので県外の大学にいかれるのです市の人口、約15000人 三重県人口約1,700,000人の1%もないのですその三重県も100年後には500,000万人位になるかも木本高校、紀南高校の統廃合も仕方ないのです 何もかも今のまま、そんな事は不可能でしょう子育て支援で少しはブレーキがかかるかもしれませんが根本は違うと思うのです観光オレンジホテルも近鉄ロッジも、今はありません熊野に遊びに来て欲しいですがそのことで市民皆が潤う事は難しのでは成功事例 世界遺産の花の岩屋 あそこはお客さんでにぎわっていますしかし、熊野道路が完成したらどうなるでしょう市内飛鳥町の道の駅 きのくにの物産店 閉店の二の舞にならないで欲しいです今は休日のみ営業で復活したような?原因は熊野尾鷲道路の開通による国道42号の交通量の激少です私の尊敬する大先輩(旅立ってもう居りません)のJE2LUZ局のブログ リンク当時の日記 かなりきつい文面で書かれています地方の衰退回避1.一次産業で生活できる社会経済2.交通の不便性を残しド田舎を売りにする観光3、一番重要で難しい事ですが 人の価値観を変えることです 無限自己満足求める生活スタイル 結婚概念、家督制度の見直し復活、甘やかし子育て感 昭和40年代初期、賑わっていた熊野熊野市と新宮市駅間のバス、1時間に3本走っていましたね三重交通、熊野交通、奈良交通と紀勢線も、鈍行、急行、特急、東京行き夜行寝台特急の紀伊号東京行きの 寝台特急の紀伊号は数えきれない位乗りました東京の中板橋に住む親友の家に、また足伸ばして八王子の親戚、もっと足伸ばし、熊谷市の同級性の家に行き来していたのです駅前も賑やかでしたね駅前の親戚 土産物店(阪紀)、パチンコ店(メトロ)や飯屋駅から少し離れた親戚 そろばん学校、米屋、飲み屋、肉屋 散髪屋、農機具店 牛乳工場 アイスクリーム卸、クリーニング店・・・・商売繁盛の時代は、昭和で終わった感じ