第31回 豫園 その5
写真はがんバレー"ジャンプくん" へ玉華堂は【潘允瑞の書斎であったと言われる建物である。デスクに座り真正面となる位置には玉玲瓏と呼ばれる高さ約3メートルの太湖石が置かれている。1105年に宋の徽宗皇帝が庭園建築のために全国の奇石を集め開封に運ばせたが、運搬の途中でいくつかが紛失したと言われており、玉玲瓏はそのうちの一つと伝えられる。太湖石は「漏痩皺透」(穴が多く、ほっそりしており、襞が多く、すっきりしている)のものが良いとされ、玉玲瓏はその典型であるとされる。】次の内園は【1780年に豫園に隣接する城隍廟(県の鎮守神を祭る官廟)の後庭として建設され、1956年に豫園と合併された。豫園の大半が明代の庭造りの特徴を帯びているのに対し、内園は建設年度が新しいため清代の雰囲気を持っている。静観庁は「静かに築山を見る場所」という意味である。正面の太湖石の築山の石は、獅子、猿、象などいろいろな動物に似ているとされている。静観庁の屋根には宋の名将岳飛と悪徳役人の金兀術が戦っている像が置かれている。静観庁の西にある東屋前にある彫刻は「郭子儀上寿」と呼ばれる。郭子儀は唐代の玄宗皇帝の時代の名将で、福、禄、寿の象徴とされている。ここから築山に登ると、園内5匹目の龍に会うことができる。この龍は他が瓦でできているのに対し、煉瓦で彫刻されている。内園の最も奥には古戯台と呼ばれる舞台がある。】よく見ると、西洋式のホールにも似た造りである。従ってコンサート会場は、古今東西問わず基本は同じなんだ!と感じた。ここの出入り口には夫婦けんかをしている獅子がたっている。子どもはお母さんの方にけんかをやめるように説得しているらしい。