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カテゴリ:エトセトラリメイク
14 危篤と延命
今日はちょっと重たい話しになっちゃうかな? これを書くのも最近いろいろな過去の出来事が どんどん忘れて行ってしまう様な気がする 少し書き留めておこうとそんな気持ちからです。 ◆ ◆ それは父が危篤の時の話です。 父の13回忌は今年に済ましました。 もうそれも過去の話ですね。 父は肺癌と糖尿病が末期で、あと半年の命と 宣告されて、そして1年後に亡くなりました。 右足の指も壊死しており切断も打診されましたが、 死のほうが先に来るかもと言う判断でした。◆◆ ◆ ◆ 父の看病は兄弟が交代で行い、皆んな仕事で 4月のある夜、予想していた事が起こりました。 父の危篤の知らせが病院からありました。 取る物も取らずに病院に急行したのは言うまでも ありません。◆◆ ◆ ◆ 病院に着いた時には22時を廻っていました。 父はすでに意識もなく、呼び掛けても応じません。 ただ、大いびきをかいていました。 もう誰もが見守るしかありません。 兄弟やその子供達が臨終に立ち会おうと集まって きました。 病院の話しでは朝方までもつかどうか?との事 ◆ ◆ 事件はその時に起こりました。 老齢の父の姉と叔母が臨終を聞き、急遽駆けつけて くれました。 父の様態は変わりません。 しかし、その父にあろうことか大声で父の名を呼び、 あろうことか起きないかと叫ぶのです。◆ ◆ ◆ ◆ 私は近くでどうしようもなくそれを見ていました。 “そんな事で意識など戻るものか”と心で呟いていました。 ”あんなに痛がっていたのだからもういいよね”と 言うのが本心でした。◆◆ ◆ ◆ しかし、奇跡は起こったのです。 いえ、私には奇跡とは言えません。 何にも反応のなかった父が、その叱る声に諭されて 目覚めたのです。 叔母達はほっとしていました。 でも、私や兄弟達はどうして?と言う気持ちに なっていました。 ◆ ◆ この気持ちがご理解頂けますか?、、、。 叔母達はよかった、よかったとしばらくして病院を それでも私達は父の容態を朝まで見守りました。 通常の眠りについたそんな父が深夜に目覚めて、私に 言った言葉は「なんや、ず~と起きとったんか? 寝てもいいぞ!」でした。 やっぱりこれでよかったのかな?、、、。◆◆ ◆ ◆ その答えは5日後に明らかになりました。 父の体力は日に日に落ちていきました。 意識もほとんどなく、体中の痛みを抑える為に “モルヒネ”を点滴チュウブから注入されていました。 それも効かなくなることがあり、痛みを抑えられ なくなり大暴れもしました。 お腹が空いたのか酸素マスクの端をチュウチュウ吸う 仕草も見せました。 それは見ているのも辛いものでした。◆◆ ◆ ◆ 私達兄弟はさらにそれから悪夢としか言えない 経験をしました。 肺癌だと思っていた父の病状はなんと胃にまで 転移していました。 父の体力もさらに衰え、そしてついに吐血したのです。 さらにそこからが地獄でした。 何度も何度も父は吐血を繰り返しました。 それも無意識下で、、、。◆◆ ◆ ◆ 看護士さんの話しでは、それは末期の胃癌が 引き起こすとの事でした。 そして、私たちの出来る事はあまりにも頻繁に いや、口に溜まる胃液に混じる血をバキュームで ◆ ◆ そして、ついに臨終がきました。 妹達が看病する中、あっと言う間に昇天しました。 妹達は一瞬白目を剥いた事におびえさえ感じて ◆ ◆ あの叔母達の父を呼び戻した行為は一体何だった 神様が与えて下さった試練だったのでしょうか?、、、。 わかりません、、、? ただ、言える事は後悔だけはしないようにする事だけ おしまい。長くてすみません。 送料はもったいないのでかからないように工夫してね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.05.30 14:03:49
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