自分のしたかった事
自分のしたかった事。 この世の中で、自分のしたいと思っている事や、こうなったらと願っている事が上手く行ったら、それは凄く幸せだなって・・・・・以前は、そう単純に思っていたのですが。いや~っ、現実はそんなに甘くはなかったです。私は自分で言うのも何ですが、本当に不器用、根っからの不器用者なのです。ですから、子供の頃は壊し専門で、上手く行ったためしは殆どありませんでした。これをやっても、あれをやっても、全て駄目。何故駄目だっかの原因は、自分の能力を越えた高望み、それと己の能力を知らなかったという事ですね。何せ、小学校の低学年の頃、中学生や高校生のやっている事を、自分でも出来る様な気になってしまっていましたから、今考えると無謀でしたね。小学生が、エンジン付きの飛行機を上手く飛ばせる訳が無いですし、壊れたラジオ、テレビ、時計を直すなんて。ははっ、でも奇跡的というか、中には大した事のない原因で動かなくなっていた物等は、弄繰り回している内に動いてしまったり事もありましたし、それは偶々偶然なのですが、それが返って良くなかったかも知れません。とにかく、壊しに壊しの体験を重ねていく内には、そのノウハウといいますか、何とか壊さないで直すという方法が徐々に身に付いていったという事たけは確かです。このブログを最初の方から御覧になっていらっしゃる方には、お分かりになるかと思いますが、私の趣味はRC戦車やRCヘリコプターとかよりも、車とオーディオの方がずっと長い間主体だったのです。確かに子供の頃は、模型作り(壊し)に夢中になっていた時期がありましたが、プラモデルは小学生の頃までで、エンジン付きの飛行機も中学生頃までに一応行き着く所まで行ってしまった感じでした。というのは、その頃は今の様に出来合いの物を買ってきさえすれば直ぐ動かせるというものではなく、模型をきちんと動かせる様にするというのはとても大変な事だったからです。その後、模型に本物と変わらない動きを可能にさせるという達人技を持った方や、寸部たぐわない精巧なディテールを作り上げる職人芸を持つ方の存在を知る事になるのですが、持ち前の不器用な事を早くから自覚していた私は、精密な模型を製作するよりも、実物の方が簡単な事に気が付いてしまったのです。という訳で、私の場合は模型-精密模型への道は辿らずに、ラジオからアマチュア無線。レコードプレーヤ-からオーディオ。自転車からバイク-車-ラリー、レースへと進んで行ったのです。模型作りのブランクの期間は長たのですが、その間であっても、1/25サイズのタイガー戦車との出会いは鮮烈な出来事でした。もう、プラ模型なんかに興味はないよと思っていた私でしたが、「おっ、日本のプラ模型もとうとうここまで来たのか」という感じでした。その時私は高校生で、中学生になった親戚の子がその子の父親と一緒に製作している所を見たのですが、それから数年後に初めて入院した病院のベットの上で暇つぶしに作ったのがこのタイガー戦車でした。そのタイガー戦車は、外装パーツが外れたり痛んだりしていますが、現在も手元に残っております。長い間動かしていないので、このまでは動かないと思いますが、少し前に倉庫の様に使っている部屋の片付けをした際に、この戦車のリモコンボックスを見つけたので、レストアして動く様にしようと思っています。画像右側がその1/25体がー戦車で、左側は1/8タイガー戦車です。続く。