今日は真珠湾攻撃について書きます。
戦争がどうしても嫌いな方は、読まないでください。
昭和16年12月8日、日本海軍は真珠湾の米海軍基地を
攻撃して、太平洋戦争の戦端を開きます。
そもそも、アメリカは真珠湾攻撃は不可能と考えていました。
そのような大艦隊の燃料補給をどうするか?
どうやって覚られずに、近づくか?
真珠湾は水深が浅く通常の魚雷は使えない。
もし仮に真珠湾にたどりついたとしても、迎撃されたら
日本海軍は壊滅的な打撃を受けます。
それを、幸運にも助けられ日本はクリアーしてしまいます。
十二月七日(アメリカ)午前6時、当時波は危険なほど荒れており、
船の最大傾斜角(ゆれ)は15度!
発艦の限界とされた10度を超えていました。
その中で、183機の第1攻撃隊は一機の事故機もなく
わずか15分で全機が飛び立ちます。
そして約1時間後167機の第二攻撃隊が出撃。
日本の6隻の空母から発艦した350機の航空機によって、
アメリカが誇る真珠湾の戦艦8隻を含む20隻、
航空機350機を破壊!
アメリカが誇る真珠湾は一日にして壊滅しました。
(予断ですが、映画パールハーバーのように、ゼロ戦が次々と
撃ち落されることはありませんでした)
予想を遥かに超え、世界を震撼させた大勝利でした。
しかし・・・ 素光
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