一般の方が思う「僧侶」の姿とはどんな感じなんでしょう?
教養があって、清貧で、生活作法がしっかりできて、
少欲知足で、朝早くから起きて読経して、境内を掃除して、
誰にでも微笑みながら、声を掛け、子供や動物とも
親しんでともに遊び、争いを好まない。
というイメージでしょうか?
これに最も近いのが臨済宗!
経典を読んだり、座禅したり、念仏を唱えるだけでなく、
普段の生活自体が修行であると捉えた宗派です。
また、禅宗といえば禅問答のように思われますが、公案という問題を
使って禅を行なうのは臨済宗で、「禅ZEN」の主役である
道元禅師の開いた曹洞宗は禅問答を行いません。
ちなみにこの方はその理想像に近いような気がします。
なんぜんたろうさん
ところで、最近ミクシーに復活しました。
ミクシーで臨済宗を開いた、栄西禅師のコミュニティを
探したのですがありませんでした。
栄西禅師は、もともと天台僧で密教僧でもあり、
禅・密教・戒律の兼学を勧めています。
それゆえ禅宗の開祖というより密教でも大家!
密教系の著作も多く、真言宗でも使う「菩提心論」の
注釈者には建仁寺栄西の名前があります!
実家の旦那寺は臨済宗で、栄西禅師が開眼法要を勤め、
高弟の行勇禅師が初代住職を務めた高野山金剛三昧院にも
居候していた私としては見過ごすわけにもいかず
勝手に作りました!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3969331
同じ禅宗とはいえ、表面上は、臨済宗と曹洞宗は
教義的には結構違うように見えます。
ありとあらゆることを修行と捉える臨済宗に対し、
ただ、座るだけ(座禅)の曹洞宗。
しかし、その本質はいずれも、人間の仏性を
見出すところにあるような気がします。
道元禅師にはこんな話があります。
夏の炎天下に年老いた典座(食事係)が汗を垂らしながら
椎茸を干していました。
道元禅師は同情して、典座に年を聞きます。
「おいくつですか?」
「68歳になる」
当時の68歳と言えば、今でいえば90過ぎ
くらいでしょうか?
「老僧そんな仕事は、寺にいる使用人や人足にやらせれば
いいのではありませんか?
何もあなたがされることはないでしょう」
「他人は私ではない」
「今は炎天下です。もう少し、日が陰ってからに
されてはいかがですか?」
「何で時を待てようか」
この話が私はすごく好きですね!
う~ん
禅 ZENが見たい!
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