野川、シベリウス 交響曲第5番_ story (4399)2019.6.22
We have taken a walk the Nogawa river from JR Kokubunji Station to Shibazaki Station just under the Kokubunji-cliff-line through the Musashi-Kokubunji park about 13km.There are stairs to tha riverbank,that river is so safety and nature that Kindergarten children were playing in the river.
Even rainy season,it was fine day, we took the lunch in the woods for the break.自然が残る野川を武蔵国分寺公園を経由して皆と散策してきた。源流近くから国分寺崖線にそって13kmばかりを柴崎まで。梅雨の晴れ間であったため雨にも降られず、森の中で昼食したりと一時を楽しんだ。
■今週の1枚 1000rice fields of Iseji (熊野古道・伊勢路/本宮路 丸山千枚田の風景)
小さいものは数平米しかない段々の田圃。ものすごい段数である。最盛期には2400枚くらいあったという千枚田。今は1400枚。でも日本一! 手入れが大変である。田植え直後の里山の風景である。
目次
徒然の記その1 孫達(小5-小2) 来る
徒然の記その2 オケ練習・・あぁ難曲!
徒然の記その3 シベリウス 交響曲第5番研究
徒然の記その4 イージス・アショア
徒然の記その5 国分寺崖線(がいせん)、武蔵野台地の崖線(ハケ:方言)を行く
徒然の記その6 パイプオルガンを聴きに10km-run
徒然の記その7 第101回山谷ミニコンサート
徒然の記その8 東京オリムピック狂騒曲
徒然の記その1 孫達(小5-小2) 来る 2019.6.15-16(土・日)
■孫たち来る・・「孫台風来襲」、「孫台風去る」などという言葉は本人が何歳ぐらいまでの期間を言うのであろうか。言い得て妙な便利な言葉である。その内容は大体、孫に振り回され、傍若無人なこだわりのない振る舞いも孫ならではすべて可愛く、笑いの種で疲れもしらず騒ぎまわるその姿に目を細め、上げ膳据え膳で接待をし、疲れ果て、早く帰ってくれと祈るばかりの精神状態を言っており、すべてを包含して語られる便利な言葉である。
微笑ましい言葉でも実態がわからないのでむやみには使えない。台風が来襲しそうにない老夫婦がいるとすれば、彼らに寂しい気持ちを抱かせないかとやっかむ。しかも自慢げに聞こえるのだ。その事実を最優先に出来てしまいすべてを一言のもとに断れる言葉でもある。「孫が遊びに来ます」でよいのではないかと。
今回来たのは小5と小2の2人だが、小2の方の8歳の誕生パーティーの帰りに家に連れ帰ったという次第である。近所でよく叱り叱られる親子の喧騒が聞かれるが、たまたまそれを見聞きした2人は、我が家のはこんなものじゃないとその激しさに軍配を上げる。父親の場合は、母親を含めて3人が震えあがるくらい厳しいものであるというのだ。誰かをいじめたりしたときなど不条理を働いたときに雷が落ちるという。こんなスパルタ教育から逃れるべく理由を付けては当家に避難してくるのではないかと思うぐらいである。
ただ、この2人。非常に明るく笑い上戸である。「今どきの子供」は皆こんな風なのであろうか。何の悩みもなく屈託がない。しかも羞恥心ゼロで素っ裸で駆けまわる。そろそろ成長してきてもらわねばと焦ってしまうのだ。
上の方は「神」がかりな少年となって我が家に現れた。小粒ながら運動神経は抜群らしい。鉄棒や縄跳びの超難度を披露する。「ピアノを弾けるF1ドライバー」というのが今のところの目標である。聴音ができるので、聞いた音楽をピアノで再現してくれる。鈴鹿のF1レースのファンファーレやJALの搭乗音楽(JAL Bording Music)「I will be there with you・・・」を小気味よく弾いてくれる。父親が70.3マイルのアイアンマン・レースに参加すれば、こちらもKidsトライアスロンに挑戦するという。
願わくんば、もう少し身長が欲しいと願っているがこればかりは当分叶えられそうにない。あまり食べないからである。学校では目立たない少年が、ピアノを弾くチャンスなんかあると、女子をあっと言わせる瞬間である。本人は韜晦(とうかい)し出しゃばることがない。
朝の食事時、5時半には準備のために起きだしても「一人残される」という雰囲気を察して2人とも眠い目を擦りながら付いてくるのだ。そこで子供たちと3人で早めの食事。小生の言動・所作をすべて真似をしオウム返しするには参った。
うんちやおしっこなどと汚い言葉を使ったら町を一周させるという厳命つきで、尻取りゲームなどをし、腹を抱えて笑う。
■愚息の落書き
家の廊下の板壁は茶色だから出来たのであろう。廊下の壁に30年間もそのままにしてある鉛筆の落書きが孫の目が止まった。愚息が小学生のときに母親に怒られたりしたときに腹いせで書いた文章はなぜか消されずに残っている。
孫たちにしてみればそれが「不思議」であるらしい。もし実家で白い壁に書きようものなら烈火の如く怒られるため絶対に出来ないようなことが、父親の少年時代には「出来た」という羨ましさも加わってむしろ楽しんでいる。
「○○は、ちほうしょうの しょうじょうがあるので近づかないでください。けいしちょう。」「○○は のうみそをもっていな宇宙人で、いわゆるエイリアンです。」「○○はげんごしょうがいじで、なんちょうで、しつめいです」・・・○○は家族のフルネームである。差別用語満載で発禁ものであるが、知りえた言葉を一生懸命綴ったという感じで、たどたどしいが笑えてくる。
よく残ったものだ。この母親が「貴方が書いたものヨ」と言うために消さずに残したのであろうか。度量がなかなか大きい! ただ消すのが邪魔くさかっただけではないかと。ほとんど家を留守にしていた小生にとっても貴重な記念碑である。
徒然の記その2 オケ練習・・あぁ難曲! 2019.6.16(日)
■秋の定演は下記3曲であるが、上2曲について早々と正式指揮者が登場しタクトを振った。
・ジュゼッペ・ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲:Giuseppe Verdi:Sinfonia-I Vespri Siciliani
・レスピーギ:交響詩『ローマの噴水』 Ottorino Respighi:Poema Sinfonico Fontane di Roma
・シベリウス:交響曲第5番 Jean Sibelius:Symphonie Nr.5
■「シチリア島の夕べ・・」のPrestissimo(プレスティシーモ:できるだけ速く)の最後100小節が超難度ときた!
交響詩『ローマの噴水』(1916年)は『ローマの松』(1924年)、『ローマの祭り』(1928年)と共に「ローマ三部作」と呼ばれもので、2007年の第55回と2017年の第75回に『ローマの松』を経験している。『ローマの噴水』ははじめて。
第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水 La fontana di Valle Giulia all'alba (夜明けの:all'alba)
第2部 朝のトリトンの噴水 La fontana del Tritone alla mattina (朝の:alla mattina)
第3部 真昼のトレヴィの泉 La fontana di Trevi al meriggio (真昼の:al meriggio)
第4部 黄昏のメディチ荘の噴水 La fontana di Villa Medici al tramonto (黄昏の:al tramontom)
の4部からなるもので、1日の時間軸を4つに分け「各地の噴水」の光景が捉えられ、付近の情景や人の動きが音楽となって実にリアルであり、垢ぬけたイタリア風である。しかし、しかしだ。
朝から真昼にかかる楽章の98小節間に、♯や♭の臨時記号が171個もある壮絶な難曲である。ドイツ物が得意なこのオケ、弾けるようなイタリアの”のり”に乗っていけるかが勝負となろう。もっと愉快にならなければ。このためにはよりエネルギッシュでもなければならない。
徒然の記その3 シベリウス 交響曲第5番研究 2019.6.18(火)
■満を持してのシベリウスである。こんな曲に挑戦できるようになったかとわがオケに感嘆。3連音符などが無限に続くためお玉杓子の多い曲である。少し数えてみた。1楽章5041個、2楽章1061個、3楽章2047個 計8149の音符を弾かなければならない。高々31分の曲にこれだけ多くの音符が並んでいるということは・・1secあたり、平均して4.4個の音符ということになり驚愕する。
さらに難解なのは、Violaである。ほとんどメロディーラインが無く、下支えの伴奏として音符が連綿と続く箇所が随所にある。一旦落ちてしまうとどこを弾いているのかさっぱり分からなくなるという箇所が数ページに及んでいる。すこしアンチョコのようにメロディーを奏でる他の楽器群の動きを楽譜に追記する作業をし始めた。スコアを見ながら、音楽を聴きながらと。
まさに「研究」の領域である。フインランド独立という歴史が背景にあるこの交響曲は幾度か改訂されていてその経緯など、いかに素晴らしい曲であるかを物語るTV番組がYouTubeに残されていた。こちらも非常に参考になる。
徒然の記その4 イージス・アショア 2019.6.17(月)
■秋田市の陸上自衛隊・新屋(あらや)演習場がもめている。配備適地条件(1平方kmの平地、高い山がないこと(他の候補地は計算ミスで不合格とされた。)、住宅地から700m、インフラの充足、津波からの耐性・・)などの条件で問題があったからであるが、政府は山口県萩市むつみ演習場を含めてこの2カ所を動かす予定はない。
最初からこの2点ありきで、話が進められたからである。地元もメディアもそういうことなのか と知っておきながら反論の遡上には挙げない所が茶番劇のように映るのだ。うまい落としどころを狙っているようで痛々しい。
「そういうことなのか」とは、日本を守るためではなく、ひょっとして、北朝鮮北西部のミサイル基地・東倉里(トンチャンリ)とハワイ、北朝鮮東部とガム島を結んだ線上に、新屋(あらや)演習場と、むつみ演習場があり、米国のためのイージス・アショアであるかもしれないという点である。
口がさけても言えないのは、よしんばそうであっても、日本を守るという大義名分には反していないからである。仮想敵国である北朝鮮には無数のミサイル基地があるため、一点のみをミサイル発射基地と見做すことができないまでも、日本の上空をかすめる砲弾には、この2カ所からが最適としているのであろう。
Google Earthを使って作図してみた。アメリカは我々をうまく使い、コントロールしているかも。もっと猜疑心を持って臨まなければならないのではないか。
徒然の記その5 国分寺崖線(がいせん)、武蔵野台地の崖線(ハケ:方言)を行く 2019.6.19(水)
■多摩川が10万年に亘って削り込んだ河岸段丘が国分寺崖線(がいせん)で、その崖にそって流れる川が野川である。その野川にそって13kmくらい歩いてきた。周囲には史蹟が多い。
国分寺市の日立中央研究所の敷地内にある大池を源流とする「野川」は、都立武蔵国分寺公園に隣接する真姿(ますがた)湧水群からの水流と合流し、幾つもの湧き水を集め、周囲の緑地とも馴染んで自然味豊かな川と成長していく。幼児たちの歓声があがる低地にはしっかりしとした土道も付き、左右の岸辺から階段で降りられるような作りで実にやさしいイメージ。川床や護岸をコンクリートで固めた都市型の河川が多い中で、土道が残り、葦が生えたりして緩い流れがあり、ホタルが飛び交う環境が維持されている一級河川(*)である。
野川公園には、自然観察園や大芝生、アスレチックコースなども整備され広々とした空間が気持ち良い。
■ハケ・・武蔵野台地に見られる高さ数メートル程の崖は、「ママ」あるいは「ハケ」と呼ばれている。これらはどちらも「崖」の古語で、現在も崖地形、あるいは丘陵・山地の片岸を指す地形名として残っている。
■お鷹の道・・・国分寺は徳川御三家尾張藩の鷹狩の狩り場となった。武蔵野台地のハケに沿って流れる清流に小道が整備され、これを「お鷹の道」と呼ぶようになったという。この辺りの道は市道でもすべて「お鷹の道」とよばれ、紛らわしがどちらも間違いではない。
■真姿(ますがた)の池湧水群に纏わる伝説・・・847年(承和14年)、当時絶世の美女と謡われた玉造小町は、業病(ごうびょう)とされた皮膚の病に冒され、その容色を失い、治療の効なく変わり果てた己が姿に、「御仏の慈悲にすがっても」と意を決し、小町は当地の国分寺を訪れ、薬師如来にぬかづいて一心に祈り続けたところ、三×七=二十一日目に一人の童子が忽然と現われ、小町をとある池の畔に誘い、「この池水にて身を洗うべし」そういいおいて童子は姿を消してしまうが、藁にもすがる想いで小町がいわれたとおりにしたところ、七日にして、元の美しい姿を取り戻した。
■一級河川(*)と二級河川の違い・・一級河川は、私たちの暮らしを守り、産業を発展させるうえで特に重要なかかわりをもっている水系(一級水系)のなかの河川のうち、国が管理している河川。調布市発祥の仙川も一級河川で国が管理している。
二級河川は、一級水系以外の比較的流域面積が小さい水系(二級水系)の河川のうち、都道府県が管理している河川。
■近藤勇の生家・・野川公園の正面入り口近くの人見街道に面した場所。7000平米もあった広大な敷地であったが、家屋は調布飛行場からの飛行機の発着の妨げになるとして取り壊されいる。今は産湯に使った井戸が残されているだけである。胸像や石碑が近くの龍源寺にある。
■大沢の里水車経営農家・・1808年ごろの古民家が残され、水車が回る。左岸では、6月上旬に田植え体験が できる。
■出山横穴墓(おうけつぼ)群・・7世紀ごろ築造された横穴墓が公開されている。
徒然の記その6 パイプオルガンを聴きに10km-run 2019.6.20(木)
■J. F. Oberlin University(桜美林大学)は町田市常盤にあり、「境川」左岸の傾斜地に群を成して建物が建つ。その最上部に荊冠堂(けいかんどう)チャペルがある。カミさんがそこでパイプオルガンを市民講座として習い始めた。その先生が、15:00から始まる「アフタヌーン・ミニコンサート」でオルガンを弾くという。午前中のレッスンが終わったあと開演の15時までは学内に留まってお喋りでもするのあろう。こちとらはそこを最終目的地として家からの距離を10kmとはじいてrunningで迫ることにした。
はじめての経路をいくつか通るものの大体の方角は分かっているのでともかく家を飛び出した。一部返還された相模原の米軍総合補給廠跡地に新しい道路が敷設され驚いたりしながら大学に到着した。丘の上には、チャペルの他に図書館など閑静な建物が数棟あって中央に広場を形成している。その一つの洗面所を借りてすっかり着かえた。14:30とまだ早かったがチャペルに押し入ってみた。誰もまだ来ていなかったが空いた席に座ろうかと思っていると、ドアが開いてカミさんが入ってきた。職員のように慇懃に迎え入れてあげるも、他人行儀で分かれて座る。次第に人が増えてきた、職員がミニコンサートのプログラムを配りだした。
400人は座れ、授業でも使う教会には、30人ほどがパラパラと席に着く。上期に1回と下期に1回と数が少ないので広報が難しいのだろう。市民講座の参加者も数人居残って列席していたらしい。
曲の解説とオルガンという形で40分くらい演奏された。
演奏・お話・・横山 正子・・オルガン教授である。
曲目:J.S.バッハ:《オルガン小曲集》より「われらの悩みの極みにて BWV641」「ただ愛する神のみ BWN642」「おお、人よ、汝の罪の大いなるを嘆け BWV622」・・讃美歌をオルガンに編曲したものである。最後はマタイ受難曲の中間部にも採用された傑作。
C.フランク(1822-1890):コラール第3番 イ短調コラール第3番 イ短調 : C.フランク Chorale No. 3 in A Minor ・・1890年の作で、バッハの再来といわれた有名な3曲のコラールの最後の作品。1872年にはパリ音楽院のオルガン科教授。
■荊冠堂(けいかんどう)チャペルのオルガンは小粒ながら音が良いと評判である。3段鍵盤と33ストップを有するスイス・フェルスベルグ社製。オルガンケースは楓が使われ、チャペル内の聖壇や椅子と調和している。このオルガンは18世紀にドイツで活躍したオルガン建造家ゴットフリート・シルバーマンの理念に着想を得て建造された。第1・第2鍵盤と足鍵盤はゴットフリート・シルバーマンのパイプ設計を踏襲したドイツ・バロックスタイルを基本コンセプトにし、第3鍵盤のパイプ陣はフランス・ロマン派の音色を持つ。ドイツとフランスの響きを融合させた明るく艶のある響きはチャペルで開催される様々なキリスト教活動を支えている。横浜地区や町田地区では有数の響きをもつオルガンとして遠方から足を運ぶファンも多い。
■Alfa Romeo・・カミさんとお喋りをしていたご婦人。同じクラスの方であるらしい。話をしながら駐車場に向かって坂道を下りていく。そこを30mほどの距離を保ちながら黒子のように付いていく。駐車場で「あらご主人がいたのね。失礼しました」と言いながらその女性はさっそうとアルファ・ロメオのBrunoクーペに乗り込んだ。ジュリア2.9 ターボ Q4 ヴェローチェ 4WD(Giulia 2.9 V6 BI-turbo Quadrifoglio)よりも車高は低く乗りやすそうだ。その車を駆動して去って行った。しかし信号待ちをしている間に我々の"景色に馴染む国民車プリウス"も追いついたが、さっと南大沢の方向に舵を切って離れていった。
聞くとこの女性、テニスと登山が趣味であるというアスリートであった。南大沢のマンションに住むも、ピアノの音が住居に漏れるということで協議を申し込まれ、その結果厳しく音出しを制限されてしまったという。神経質な住人がいたものである。それ以来ピアノを弾くのを止めていたという。本当はピアノの先生を目指していたのに。大学の副科で学んだことのあるオルガンにまた挑戦しているという。今足鍵盤のある電子オルガンを物色中という。
ヨハネスJohannusのOpus250や、バイカウントViscountのCantorum VI Plusの家庭用のクラシック・オルガンであれば、イヤホーンで弾けるので良いかもしれないという。八王子やみなとみらいに展示場があるらしい。
車中でカミさんが「私もパイプオルガンが欲しい。買って頂戴!」 とあっさり言う。数段も階級の違う人と交わるということは、末恐ろしいことであると痛感。
徒然の記その7 第101回山谷ミニコンサート 2019.6.12(金)
■台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会所でやや少なめのおじさんたちを集めて開催された。
チェロとViola演奏に続いて合唱タイム。(数字は詩の掲載や映画の公開年。)
「てるてる坊主 1921、あめふり 1925、わたしをお使い下さい(*)、悲しき雨音 1962、夢は夜開く 1966、長崎は今日も雨だった 1969、遣らずの雨 1983、すずめの涙 1987、風に立つ 1999、365歩のマーチ 」(太字の部分がViolaによる伴奏)
ブラザーのお一人が2日後にカンボジアに赴任するという。お別れの挨拶。
徒然の記その8 東京オリムピック狂騒曲 2019.6.21(土)
■Olympic入場券の応募は全部外れた。開閉式、陸上決勝など競争率の高いものばかりを狙ったため案の定である。秋から先着順というやつにトライしよう。
■皆は僕に言う。では「聖火ランナーを!」と。6月17日からコカコーラが募集を始めた。24日からはトヨタ、日生、NTTが募集を始める。こちらは抽選ではなく、「自己PR」で思いが伝わらなければ、走れない。
コカコーラなどどのようにして応募できるかと調べてみた。まずスマホにアプリ「Coke ON」をインストール。カメラ機能があるアプリなので、示温センサー(冷えたら色が変わる)付きのコーラが買える自動販売機を探す。ひと瓶買って写真を撮り1ポイントをgetする。それを毎日繰り返す。ある程度ポイントが溜まった時点で自己PRを添えてスマホから応募する。
これだけの難題を熟(こな)す人はいるのか?と思うぐらい操作が複雑。しかもそんな自販機見たことがない。一般市民が付いてこれない企画をよく考えるものだ。スマホ世代のバリバリでないと応募は難しいのかもしれない。
期待できるのは、もうすこしましではないかと想像するトヨタ、日生、NTTの3社と都道府県が募集する枠である。
(編集後記)
その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。
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