カテゴリ:芸術的生活行為
ハイストーリーズ&ハイデンシティーそして、、と、
層と密度と言う2個の指標で、都市を分けていくという基本的なことを、 半世紀前にデンマークの王立美術建築アカデミーの国際クラスの授業で受けたんだった。 このダブルの網掛けは、アートとデザインのことで一杯だったあたしには、 初めてのことだった。日本で、都市計画とかの勉強をしていないあたしには。 昨日、ちょうど24時間前の早朝、隣組のある方が(女性)突然、わが道沿いの部屋、つまり事務所に来訪。(明かりが点いている)目に涙をためている。何事だろう。 ワクチンに関しての夫婦喧嘩である。 一つは、、ま、これくらい、周りの方々と親しくなった!と嬉しい。 一つは、いくら、新聞を取りに行った帰りとは言え、こんなに朝早く、何事か、と思うじゃないか、と考えを及ばせる余裕が訪問者には無いくらいの事情ひっ迫であるのだと、驚いたってことと・・。 (田舎では、公民館などの門口などに地区集落の新聞をまとめて配達する) あたしは、テレビを見ないので、知らないけれど、想像するに、、このところのメディアは、まず、コロナワクチンが服着て歩いている、、のだろうと。 大丈夫。と背中をさする。背中なのだから自分のではない。訪ねてこられた方のだ。 こはんとき、話して、帰って行かれる。 また、別件だが、さる一つの名誉職的な地域の肩書のさる機関から、 紙上レポート提出のお願いが来た。 少ない人数の立場だが、あるとき、ある場所で、そのうちのお一人とたまたま出会った。 しゅじんに書いてもらった。あたしは、わからないもの。。のひとことだった。 心の中で、あたしはのけぞる。 だって、出席していたのはあなた自身でしょう?夫は出席さえしていないし第一その立場でもない。 無責任だし、無定見、非常識、などと、、言葉が思い浮かぶがこういう場合はスマイルして、 ああそうだったんや。と返事して。 でも、そういう行動は、よくあることらしいのだ、、とも、感じた。 俺が書いてやる、じゃあお願い。とはなんという悲しい思考放棄であることか。 女性がこういう態度では、いつまでたっても男女共同三角四角など、夢のまた夢だ。 (ジェンダー・イクオリティーと言う言葉を男女共同なんちゃらと「変換」した、高級官僚のウデや見事、と言うほかない。) このところの、旗振り役の??を見聞きするにつけ、 重層的モノの見方が根っから欠落しているなあと感じる。 ワクチンの接種計画の事でも、 時間空間の様子を2個の指標で分類して、その階層に応じた対応がいくらでも可能であるにもかかわらず、いまだに、大規模だの一日何凡打の、じゃなくて、何本だの、しか言われない。 一つ、低密度・低流れ、つまり動き、、であれば、 郵便局などは恰好の拠点になろう。と言う具合にだ。 こんな名もない老婆が考える事くらい、誰かが考えておられて、表明してもよさそうなものだ。 まことに、嘆かわしい限り。 今朝は、これくらいにしといたるわ。ジャン。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年06月02日 05時13分12秒
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