カテゴリ:芸術的生活行為
例えば英語。 話せるようになりたい、分かるようになりたい、会話がしたい、ブラインドで聞くと日本人でないような発音がカッコイイ、と夢は大きくなる一方で、 ネットの広告でも、小中高と英語の授業を受けても日本人は全く英語を話せない、なんででしょう? みたいな言説もよく見たりする。 あたしは実際に見聞きしたわけではないが、政治の世界では、 故吉田茂首相の英語は素晴らしかった。。今は伝説。すでに70年前である。 現在で言えば、どこかのおぼっちゃま大臣の sexy (英語のスピーチで)発言が話題になった。70年後の体たらく、というわけだ。 ジャズピアノ、と言う世界の扉に手をかけて、とにかく、一歩を踏み出して、 どれどれと、その庭に足を踏み入れつつあるので、 情報としてのツール、ユーチューブで、いろんなジャズピアノ関連のお勉強を気まぐれにしている。 この間、篠田某、というジャズピアニストのシリーズものがあって、見ていたのであるが、 彼は良い事言うなあ。 こんなこと。 楽譜を見ての演奏の練習について。 悪くはない。だけどそれ以上でも以下でもない。とハッキリ。そのたとえが唸った。 皆さんは、英会話の勉強をするとき、 オバマ大統領の一般教書演説を完全に覚えて、その通りに発音も出来て、上手に人前で喋れたとする。中身の事は置いておいて、。 でもそれが、表現と何の関係があるか。無いでしょう?と。 たとえ、一語、二語、三語でも、自分がこうで、ああで、と表現しないと 英会話、いや、人との会話、付き合い、情報の行き来、繋がって、共感、感動、印象、、の世界には行けないでしょう?と。 ツールとしての外国語の世界はそういう風にとらえるべきであるのは自明の理。 いくら、流ちょうに発音し、発声したとしても表現者がその意味や意義を把握していないのであれば、それは、目の前の楽譜を、音に変換する技術があり、その音、が空間に散っていくだけの事で、いわば、、無、なんだと。そこまで、ハッキリとは言われない、、 一つの上達の道程としてはアリなんだとは思います。とも言われる。 特に、今の時代は、発音重視、ネイティブのように発音する、などと価値があるように言われているけれど、あたしは、かねてより、それはちゃう。と思っており、 全く違う分野(ジャズピアノ)のユーチューブの先生からこのように言われるとは思いもしなかった。 先生は続ける。 ジャズを知り、ジャズの理論に従えば、 世界は自分で作り上げていくもので、(クロマティック・コード)というものを覚えました。ハイ次は、何とかスケール、ってのを覚えました。と階段を一つづつ上るように広げていかなくてはなりませんと。 自分なりの段階での表現を心がけましょうという事。 クラシックのテクニックの練習とか、楽譜の読みとか、とはちと、世界が違う。 以上は、個人的予習。なるほど。 昨夜は、久しぶりにいつも参加する音楽仲間のライブに観客として、参加。 脳が、コーフンした。 だだっ広いホール、少人数で占領であった。 こんな時代だけれど、継続は必要だと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月26日 06時46分28秒
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