カテゴリ:芸術的生活行為
どこかの中学生の団体が、どこかの美術館の見学に修学旅行で出かけ、
展示作品を壊してしまった。 美術館は被害届を出す騒ぎになった。と。 壊された作品は2つあって、そのうちの一つは以後展示が出来ない、つまり修復不可能な状態であるとされた。 その作者が、朝日新聞のインタビューに?か、記事を寄稿したか、コメントを出しておられる。 記事をそのままコピーしようかと思ったが、引用して、いいかどうか、、つまりログイン後に読むことのできるものなので、後日問題があってはいけないし、、などと逡巡して、 あたしなりに翻訳してみる。 彼は言う。作品は死んだが、作者の自分は生きている。それはまた作れるという事を意味する。 事件より大事なことは、、その中学生たちの、内なる不満や怒りや欲望を表出するのに多様性を持った表現方法を教えていく、道を示してあげる、ことではないかと。そのためには、アーティストだけでは、その目的は果たせない。大人、学校、地域の人たちの協力失くしては、それは叶わない事である。修復作業を通じて、自分は、この事件が彼らや彼らのコミュニティ、そして芸術を愛する人々に悪い爪痕を残さないよう、最善を尽くしたいと思う。と話されたようだ。 そして最後に、、良い夏休みを迎えましょう!と、結んでいる。 ホンモノのアーティストである。 お顔も知らないで失礼しました。 そういう風に考える芸術家が多数派であることを切に願います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月09日 19時53分22秒
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