カテゴリ:補助的生活行為
![]() 黒豆枝豆のシーズンは、、今月いっぱいまで。 何度かこの作業が必要である。 今年は、3年振りに街なかは、すごい人出で、商店街は、人だらけ。年に幾度かの大賑わいなので、なんだか、ウレシイ。こうでなくっちゃ!とも、思う。自動車は、時速5キロである。 毎年、師走を迎えると、夫は年賀状の用意を始めていた。。 ところが、突然のお別れだったので、彼のパソコンは封印されたままである・・。 (情報が闇の中、、と化した) あたしはともかく、子供たちは、と言っても40代、たまたま二人ともITの世界に詳しいので、 何も分からぬ人間としては、何とかなる(住所録)かもとは思っていたが、 これが、やはり、どうにもならないらしい。パスワードは、老夫婦の場合教え合っておくべきだった。痛恨の極み。(この言葉は最近よく聞く) 結局、ハガキホルダーを発掘して、整理しないといけない。 翻ってあたし。 田舎暮らししてから年賀状はやめた。頂くものは頂くが。 夫婦単位で宛名があるものが結構多いが、それは、夫が管理してくれていた。 さてと、。。 率直に言うが、夫が亡くなって半年以上たっても彼関係の事は、まだ手付かずなんである。 どうしても、しんどい。 しんどいのは、個人的にしんどいので、どうしようもないし、 手がそちらに伸びないわけだ。 ため息ばっかりである。 しかし時間は過ぎる。 人にお願いするわけにもいかない。あたししか知らないのだから。 夫が亡くなって、大変、(手続き色々)とは、言説巷にあふれているが、夫の急死、ってのはもっと大変です。 感情の折り合いと、目に見えぬストレスと、ルーティンの記憶と、、 あたしには、まだ仕事の事があるし、こういう種類の事々、ちょいと、義務的な事、、をば。 楽しいこと、嬉しいこと、自分がやりたいこと、などの、暖色系の生活行為にまぶして、 暮らしを織って行く。 そうでもしないと、自分が自分でいられなくなるような気がする。 後回しにしていた、その年賀状の住所録は、喪中ハガキ用、という名前に変身している。 タイトルも変更になったし、時期も変更になった。要するに状況が変わったわけだ。 大いに前倒しになった。 しんどいことで、おまけに前倒し。たまらん。 こうして、書きつけることで、辛うじて、気持ちを鼓舞し、今日取りかかろうと思う。 頑張れ!自分! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年10月26日 06時46分15秒
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