カテゴリ:補助的生活行為
自分の映像、、と検索に入れると、ひどい、とか見たくない、とかの文言が続いて打つように出るので、ちょっと安心した。そういう風に思ったり、感じたりする方がおいでだ、という事に。
ドレスアップして、お歌の会とか、出ると、決まって、 ビデオ撮っといて、とお声がかかる。 あるいは、、頼まないが、ビデオ撮っといたよ、と友人たちは言ってくれる。 あたしは、本当に、苦手なので、ありがとう!とは言うけれど、 それを置いておくことはしない。 自分の経験は、その時限りで、それでいいと思っているので。 ところが、今回、弾き語りに挑戦という事で、 練習中なんであるが、先生が、グランドピアノでの(貸しピアノ)お稽古をしているんだったら その映像を撮影しておいてください。とのご託宣である。 声は全然でないし、鍵盤もおぼつかない、こんなんで、本番行けるかしらと、 心底心配しているので、マジ、熱心に練習はしている。 所謂、「必死の初心者」というわけだ。 なので、一大決心をして、今日の、貸しピアノの時に、スマホを持参して撮影した。 稽古自撮り、ってやつだ。 ジャズヴォーカルのレッスンの時に出会う、や先生は、 その音楽教室の主宰だが、いつも、お茶を入れて下さり、 待合の時におしゃべりするのだが、 (映像自撮り)そのうち、慣れますよ。と言ってくださる。 加えて、、上達のためには必須条件です。とも言われる。 正直、お痛みには、じゃなくて、老いた身には、残酷な事なんである。 だれしも、自分のあからさまな老体を自ら客観視できるものか。 かすかな、過去の切り取り映像が、自分の拠って立つイメージを切り貼りして自分で勝手に、いいようにデフォルメし、固めて、それをば、脳内に定着させ、沈殿させ、裏書し、、 かろうじて、ひと前、あるいは、集団に紛れて、そそくさと用事を済ませ、 家から出ては帰宅し、どっと疲れて、誰も何も言わない空間で、ようやく、 コロモを脱ぐのではないか。 そうこうして生きて行くと、どうしても毎日、少しづつ老化が進行していくので、 前日より、必ず、老化が進むわけで・・。 ひと月、半年、その事を失念していると、、アーラ不思議、一定時間経過すれば必ずや、 似ても似つかぬ、わが身となり果てるのである。 とはいえ、そういう事ごとに拘泥しているわけにはいかない。 第一、人はそんなに見ていないのだ。どうでもいいこと、、と言えば言える。 自分で、他の人になってみればよく分かるものだ。 だから、安心して、生きていける。 スマホで、弾き語りを一曲、自撮りする事で、 いろいろ考えたものだ。。 ま、引き続き頑張りまっさ。 (ひどく、自撮りに落胆した相談者のお答えに、一つ、目を引くものがあった。それは、、 鏡と違い、左右反転になった実際のお顔は、やはり、見慣れないですので、。。とある。 なるほど、と思った) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年10月25日 12時54分19秒
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