カテゴリ:農的生活行為
確かに、秋だ。 近くの、薬師川の橋の上から川の流れている両岸は、斜面になって下方向に広がる。 斜面の途中に小さな土地があって、サクランボの成る桜の木があったけれど 今年それは、伐採され、ススキの原になった。 あの、、 おでこから噴き出す汗まみれの日々、、先月のお彼岸くらいまではしっかり毎日暑かったのにこの涼しさはなんだ。。 すでに、着るものは、長そでになり羽織りものさえ探す始末。 ライブチラシの印刷代を支払うため近くのコンビニに行く途中、竹林に分け入り、 一つだけ残った彼岸花を見つけた。 気温25度以下!でないと成長しない植物がいよいよ、大きくなり始める。 実のなり具合に必須の雨が待たれる。 今日は、地区のお祭り。 この地域集落に関係する神社は3個。 つまり、動員がかかるし、お餅もお供えする。当番のお家はもっといろいろ用がある。 お餅が用意できない家は、お供え(金一封)でいいのよ、と知ったのはなんと、 今年だ。 あたしよりかなり年上のよさんが、歩いてはもう行けない隣の集落の神社に お供えを持っていって、と頼みに来た。 ほぼお隣なので、あたしとはよく話す。それで、お餅じゃなくてもいいと、分かったのだ。 神社とのお付き合いは日ごろのお燈明当番で馴染んでいて、 あたしは、都会に住んでいる時はさっぱりご縁が無く、えべっさんくらいしか行かなかったが、こちらでは、神社の存在はベッタリと暮らしに着いて回る。 ほのぼのして、そして厳粛になったりしてなかなか上品で、いいなあと思う。 3個の神社のうち、 一番小さいのが、ウチの集落の、愛宕さんである。 祠(ほこら)といってもいいくらいに小さいが、この神社は、江戸時代の集落の大火をキッカケに京都から分社してもらったと言う。 お供えを持ってきたよさんは、梨とマスカットも持参。おう! なんと言う事はない座って、しばらくおしゃべり。おしゃべりは、実は叶わない。 筆談である。 メモ用紙がどんどん埋まって、捲って、また書いてと、、忙しい。 先月は同じ町内のにさん所有の建物(今はない)がよさんの土地の上に建っていることになっているが、、というややこしい案件を仲立ちして、登記上の問題を解決した。 でまた、、あなたにと言うのだが今度は、手入れがめんどい庭の端っこの盲腸のような土地を売りたいが、丁度お向かいのなさんが買ってもいいよと言ってくれているが、。。 値段による。とのことで、と。 家の敷地全体の広さからすれば、そこは、20分の一くらいしかない。 手元に現金が残らなくても手放した方がいいんじゃない?管理が問題なら、。 などと、筆談である。 となりの漆が、、かなんねん。(叶わない)のお話も次にあった。 ほぼ放置空き地故。 お隣の敷地に入っては、、と躊躇われるので、 手順を踏んで(自治会長などに言う)それでもダメなら、 庭の草刈りの時についでに切っちゃえば?それでいいんじゃない?と言った。 管理の悩みは尽きぬ。 朝から、大きな声を出すやら、さらさら手書きの文章やら、、こちらはフル回転だった。 ただ、彼女は、耳は悪いけれど、裸眼であたしの字は読めるし、すぐ分かるし、 意思疎通に問題なしだ。 さすが、、図書館で時々会う位だもの。 お昼は、かき揚げうどんにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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