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2003.06.04
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カテゴリ:漫画
​​西岸良平氏の傑作「三丁目の夕日」のコミックス第45巻を読んでいて、ハッと遠い記憶がよみがえった。

私は小学二年の夏休み中に富士宮から御殿場へ引越し、二学期から、御殿場小学校へ転校となった。

これも大きく私の運命を変えた分岐点となったと今でも確信している。昭和35年夏から秋へかけてのことである。


西岸良平(さいがん・りょうへい)氏著「夕焼けの詩(うた)」第45巻。


御殿場では自衛隊官舎に入った。次第に年齢が上がるにつれ、驚いたのは、この杉原自衛隊官舎には、学業優秀な子弟がごろごろいて、例えば県下有数の進学校・沼津東高、俗に沼東に通うお兄さん方がぞろぞろいるのはむしろ当たり前なほうで、なおかつ、東北大学医学部、京都大学などに進んでいる人もかなりいた。


意識変革をもたらした御殿場の自衛隊官舎。画像右一番手前のお宅が、兄弟三人全員沼津東高、さらに当時上のお二人が国立大学(旧帝国大学)進学という秀才を擁したお宅で、事実は不動の迫力となって迫った。


私のような平凡な頭しかないガキにとって、この環境はすぐにはピンと来なかったが、あとで考えるとやはり好環境だったと思えた。

さて、ややそれた。軌道修正する。御殿場市自体は今でも余りパッとしない、どちらかというとみすぼらしい土地だが、学校は驚くほど違っていた。元の富士宮市のままだったら、大宮小学校という、悪しき環境下で私の意識は変化せず、その後の学歴が一変していたことは間違いない。おっと、又もそれた。

小学四年の時から、春秋の遠足、文字通り歩く遠足に加えて、「社会科見学」というバス旅行が実施されるようになった。三年生以前には、バスを利用する遠足はあったものの、遠方までバスだけを頼るものはない。
これがかなり豪華版だったので、今や記憶の中では、同じくバスを使う修学旅行との区別がむつかしくなっている。

四年のときは日本平などへ行ったので、これはわかる。だが、翌年の五年生の時も、社会科見学で東京・横浜方面へ行き、その翌年、六年の時の本物の修学旅行もまた、東京・横浜方面へ行っているので、区別がむつかしくなった。

ほとんどない記憶でせいぜい推測できるのは、六年の修学旅行の目的地のほうが数の上で優っていることぐらいか。東京・横浜以外に江ノ島・鎌倉にも寄っているからだ。


西岸良平(さいがん・りょうへい)氏著「三丁目の夕日」の新書判コミックス「夕焼けの詩(うた)」第45巻所収の「お化け煙突」。


で、西岸氏の漫画に出てくる「お化け煙突」を見たのはどちらの時だったかが、全く思い出せない。
更に言えば、本来の目的地で見たはずの各地の風景が、絵葉書を上回るほどの強い印象を残していない。

その中で、バスの車窓から食い入るように視線を釘付けにして見たお化け煙突だけは、いずれの旅行かは思い出せないものの、鮮烈な印象を今に残している。

西岸氏の漫画、タイトルもズバリ「お化け煙突」によると、昭和39年には、取り壊されたとあるので、もしかしたら、前年小5の社会科見学の時だったのかもしれない。つまり昭和38年ということになる。

バスガイドさんが又ややきれいで、しかも我々子供に溶け込み、なおかつリードすることがとても巧みなお姉さんだったのも覚えている。

お化け煙突の刻々変わる様を興奮と共に楽しめたのは、このガイドのお姉さんの力もずいぶん大きかったように思う。

どこをどう走っている時だったのかなど、まるっきりわからぬ田舎のガキであった。ガイドさんが、右手、左手などと見事に解説して飽かせることなくリードしてくれるうち、このお化け煙突の話題に移っていった。

もうすぐ見えるときにいきなり話し出すわけがない。充分にして必要な時間を計算ずみの、見事な解説だった。くどいが、しかもこのガイドのお姉さん、ませガキの私の目に、確かにきれいだった。そう、今更に思い出した。歌がうまかった!!

はっきり思い出せないが、砂に書いたラブレターというような歌があったとしたら、これをビブラート見事に歌った。
ませガキの私は、これにも「ガツーン・・・!!」とカルチャーショック、大人の女の人ショック、ずーっとあとにオイルショック、っとっと、これしらける。軌道修正。(のちの検索で歌は先ごろ亡くなった弘田三枝子さん歌唱の「砂に消えた涙」と判明しました)

とにかく、このきれいなお姉さんが時間を計りながら、私たちの関心度最大になるという頃、「ほら、(右手左手は忘れた)X手に、今お話したお化け煙突が見えて来ました。さあ、これからしばらくは、お姉さんの顔なんか見ないで、煙突をじっと見つめてて下さいね」

こんなふうに誘導しながら、その煙突の見かけの本数が刻々と変わる様を、まさしく実況で説明してくれた。
ただし、この頃、四本全部あったのかどうか、リアルタイムで現地で経験していない田舎者の私はわからないが、四本だったと仮定して、進める。

「さあ、今四本見えますね、それがほら三本になりました、・・・さて、はい今二本になりましたね。一本は、ああ、あっという間でしたが、ほんの何秒か一本になりましたよ。さあー、皆さんはちゃんと見えたでしょうか?」

緊迫の何十秒かがあっというまに過ぎた。見える本数の順序も、記憶がいい加減なので、適当に書いたが、バス旅行中、最もエキサイティングかつ楽しい光景であった。

なお、お化け煙突とは、東京千住の「千住火力発電所」の四本の巨大煙突である。
多分普通は常磐線の車窓から容易に眺められたものと思うが、バス旅行の窓から見る私たちにはこのあと二度とお目にかかれぬ貴重な眺めとなった。


怪物漫画「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」コミックス第59巻。新旧に通じる抜群の面白さを維持した秋本治(あきもと・おさむ)氏の超ロングラン漫画。


同じテーマでは、秋本治氏描く「こちら葛飾区亀有公園前派出所」第59巻に「おばけ煙突が消えた日」がある。
両者甲乙つけがたい、風情のある一作である。

同様の東京風物に勝鬨橋がある。これもぜひ一度、そのダイナミックな開閉の様子を見たかった。

私にとってあらゆる角度で捕えようとすると、良き時代は昭和30年代で終わっている。​​





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最終更新日  2020.11.08 14:50:00
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