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2004.01.27
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特撮機関誌HPならばと、特撮に相応しいことを書こうと思ったが、私は特撮マニアとも呼べぬほど、特撮から距離を置いてなお、若干の興味を持っているから、実は誰からも相手にされない。
小学五年の昭和38年から平成九年第95号廃刊まで続けた「大一プロブック」は、マニアに不快を催させる文面に満ちている。

マニアでない者の立場にたって書いたから、これは一体何の機関誌かと思い思わせる奇っ怪な手作り雑誌となった。ただし長年月にわたるものだから、その一部を抜粋抄録しても、よくわからないはずだ。とり方により、軍隊復活を願う雑誌に見えるし、CG特撮を嫌う雑誌に見える。

私が目指したのは往年の月刊誌の雰囲気の再現だった。そこでわかったことは、特撮マニアの趣味対象は、ほとんどが特撮だけであり、私が目指した「懐かしい時代への回帰」ではないことである。雑誌「少年」を、「少年画報」を「ぼくら」をいくら書いても、共感が得られない。廃刊を意識したのは、トラブルだけではないような気がしてきた。

次には少女雑誌を特集してみたが、なおのことこちらの思惑からはそれる一方である。ここでトラブルが発生し、廃刊となった。
縁とは皮肉なもので、「懐かし掲示板」という体質にかなり合うHPにたどりついたのは、それから数年後である。

だがここでも私の不注意から、掲示板撤退、更に管理人の厚意で始めたばかりの私名義にしてもらった貴重なHPを、危うく閉鎖するところまで行った。
世の中、ほとんどの人間がプライドで生きている。かく言う私もその一人に過ぎなかったが、この管理人の大人の分別に救われた。

当時の私の書き込み文面とそれに対する管理人のレス文面、そしてそれに反発を覚えて送信した私のおとなげない文面・それに対する分別ある管理人からの返信メール文面すべてを、何かの参考になると思って、印刷して保存してある。
本誌の論調を再現する目的で、「この管理人」などと、無礼に取れる書き方をあえてした。無論他意はない。

本誌廃刊と「懐かし掲示板」開設がそれぞれ数年ずつズレてダブっていたら、「大一プロブック」は再生して新読者層を相手に続いていたかとも思ったが、やがて、私はあらゆる場所でトラブルメーカーになりはすまいかとの別の疑念がわいて、復刊せぬまま今日に至っている。
それほど本誌文面は、いずれの記事でも特撮マニアをして、その眉をひそめさせる内容にあふれていた。

一例を挙げる。東宝映画「宇宙大戦争」をバカに持ち上げる者がいたので、私はレトリック修行のつもりで、「スター・ウォーズ」を論難しながらも、トドメのつもりで「宇宙大戦争」をこきおろした。映画クライマックスの中で、円盤母船が地球大気圏に侵出し、その光線で、一種の反重力現象を起こして、市街地のあらゆるものを空中にまき上げるシーンがある。

このシーンに目を凝らすと、ビルディングの窓ガラスが割れずにペラペラとセルロイドのように揺れっぱなしのカットがあるのがわかる。私の兄はこれをセロハンだと、凄い表現で非難した。なるほどと気づき、東宝ファンが等しく称賛する「空の大怪獣ラドン」に同様のシーンがないかと探したら、苦もなく見つかった。

「ラドン」は当時の福岡を実景そっくりに再現したことを評価するファンが多いので、私はそれが命取りになるとつとに思い続け、遂に失敗シーンを発見したが、これは残念ながら廃刊後だった。批判文を書いたのは「宇宙大戦争」にとどまったが、ここでは「ラドン」に同様の失敗を見つけたことを書いておく。

まず、ラドン襲来におびえる街の人々のシーンが出る。ところがここで街並みの実景をわざと写しこんで、次を見よと言わぬばかりなので見守ったら、果たして街並みはいかにもよく出来たミニチュアと化し、人間不在のゴーストタウンになっていた。そこにラドンがサッと飛来して、その衝撃波で建物のあちこちが破壊される。

だがこのショット割りは失敗である。ビルの窓ガラスが、セルロイドか何かわからぬが、いつまでも窓枠につきまとってペラペラ揺れるばかりで、そのうち手抜きミニチュアとバレる。私が東宝特撮に首をかしげるのは、こういうところである。
ずっとのちの映画「日本沈没」では、第二次関東大震災シーンで、ビルのおびただしい窓ガラスが割れるカットがある。

既にビル崩壊シーンは技術をほぼ完成していたのだから、窓ガラスにも工夫出来ただろうにと思うのである。「ラドン」が昭和31年、「宇宙大戦争」が昭和34年、この三年間に何らの反省も工夫もなかったかと怪しまれる。
東宝特撮の肩を持つしかないほど東宝に縁の深い評論家は、もはや悪口は書けぬだろうから、この連中の著作を読んでも得るところがない。

こういう時は、特撮を年齢相応に卒業した者の意見を聞くほうが早い。その多くが「ゴジラ映画はもうやめたら」と言った。私はその説に首肯した。私もその一人だからだ。ではどこでやめたら良いと思ったかというと、昭和37年の「キングコング対ゴジラ」である。この映画はゴジラののちの堕落と昭和30年「ゴジラの逆襲」以来の華麗な変身とを受け持って、暗示的である。俗にキンゴジと呼ばれるこのゴジラの特徴は、恐竜類に退化させるかの如く、陸上獣類と称していたかつてのゴジラから耳を取り去ったことである。

対してモスゴジと称する昭和39年「モスラ対ゴジラ」登場のゴジラを支持する者は、キンゴジを「正面から見るとカエルみたいだ」とけなす。だがカエルは両生類であり、恐竜類の祖形である。キンゴジの顔はカエルでいいと思ったのだ。
逆にモスゴジは、歌舞伎のメーキャップのように、顔中ベタベタ塗りすぎて、今日に至る猛犬のたけり狂った形相のゴジラの始まりにもなっている。

ここまで書くには「モスラ対ゴジラ」を見ていなければならぬ。見ながら悪口を書かずにおれぬ。批判がなければ機関誌を作る意味もない。それでいて映画評論家気取りも又嫌いなのである。プロならいざ知らず、東西の映画を広く見て知識にせねばおれぬ者がいるが、私にはこの輩の文章も又読むに苦痛なのだ。情報を満載してあるから、色気がない。何という映画の監督は別の何とかいう映画でも演出していたと書かれてもこっちは知らぬし知る気もないから、どこを読んでいいかわからず、結局読まないのである。

岡目八目という言葉がある。他人の目になって見ると、それまで見えなかったことが見えて来ることがあるのだ。又「及ばざるは過ぎたるより優れり」と徳川家康も言っている。私の趣味は映画にとどまらぬ。オートバイも足腰立つうち、又は糊口足りる間は手放せぬ大事な趣味の乗り物である。だがオートバイ趣味の集う掲示板へ行くと、ツーリングせぬ者はライダーたる資格なしという不文律があるから、冗談じゃないと思って退散するのである。

その一方で私は歌舞伎が好きである。夕べも澤村田之助の芸談を衛星放送で母と共に見た。彼は相撲協会委員の一人に選ばれて、そのほうの仕事もこなす役者だが、そういう私は昨今の相撲が嫌いになって、蒙古人が牛耳る角界がいまいましいから見ない。父は蒙古じゃないと肩を持つから蒙古でなきゃ支那だろうと思えばなおのこと愉快でないから、必ず見ない。

そこで歌舞伎の芸談のあとは興味のない文楽だからチャンネルを切り替えて、ビデオをセットする。ソプラノ歌手の鮫島有美子さんが「琵琶湖周航の歌」を歌う番組から録ったものである。ついでに筝曲(そうきょく)も聞くだけだが好きなので、山田流家元の故・中能島欣一(なかのしま・きんいち)氏の「六段」を録ったビデオに替えて、これを聞く。筝曲は知るところでは二派あり、山田流と生田(いくた)流である。理屈を言うが、生田流の爪は、四角形であり、これでは琴を弾いても、鋭い音が出ないのではと疑われる。山田流は、手の指に似たとがった爪であるから、このほうが鋭い音が出るはずである。

「六段」を発展させた曲がどうしても「みだれ」としか思えず、六段に飽いたら、「みだれ」をたまに聞く。「六段」でさえ、もはや一段目のある箇所までしか覚え切れぬから、「みだれ」となると、ただただ聞きほれるだけである。
時に寺内タケシのエレキギターより、しびれさせてくれるから、十三弦を駆使した旋律を堪能する。

寝る時分になると
衛星放送319チャンネル「Vパラダイス」のお下劣放送にとりあえず視線が行く。ここで一気に品が落ちるが、これまた今ひとつの趣味。「隣の人妻」などと書いてあると、ストーリー紹介欄だけ調べる。想像したほどでないとわかると、ほかをさがす。うそかまことか「告白もの」というのがある。オムニバスになっていて、幾つか出没するから、これにしようと録画予約して床に就く。

 ここに至って「余り偉そうなことは言えない」とやや自己嫌悪に陥るが、所帯を持たぬゆえ、まともな人のことがわからぬ。ただし、私のビデオはやがて遠方の兄の許へ届けることになっているので、きちんとした所帯を持つ兄でも、見るだけは見るのかと、かろうじて慰めとなる。

なお、こんなことを書くために管理人氏を引き合いに出したのではないのだが、ご不快を感じられたらお詫びするのほかないので、ぜひ不承なさっていただきたいとお願いするのみである。





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最終更新日  2004.01.27 16:11:40
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