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2014.06.26
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カテゴリ:回想
私に異性との縁がまるでない頃は、母は甘やかすように、私を気遣い、心配してくれた。
よく私がマザコンと呼ばれた所以でもあるが、ただ一人、私をマザコンではないと見破ったのが余人にあらぬ、利発な娘・夕子だった。
夕子「あなたはお母さんを大好きなのはよくわかるけど、あたしも勉強になった。あくまで母親としてこの世で一番好きなんだってことが」

また、私は彼女にだけ、母を仮に女としてみた場合、ほれる相手ではないと教えたことがある。まともな母子ならば、いずれも大同小異、女として見ることはないとも付け加えた。
ただ彼女も面白いことを質問した。
夕子「もしタイムマシンでお母さんの娘さん時代に行って、そこでお母さんと会ったら、少しは胸がときめく可能性あった ? 」

村松「うーむ。結婚前の娘だからなぁ・・。若き日のお袋が俺だと気づかなかったら、よもやまの話をするうちに、世俗のアカにまみれない若きお袋の言動によっては、やや他人として見ることが出来て、お袋の立ち居振る舞いや言葉遣いに、やや心が動いたかも知れない。でも、のちの母親と知ってのことだし、女として見ることはないな」

さて、北海道ツーリングの前後編ブログでは、割愛につぐ割愛が多く、委曲を尽くすどころではなかったので、番外編として追加しておく。
本州入りを果たした頃、公衆電話から、はるか静岡県の母に帰路に就くとの一報を告げた。なお、往復ともモーテルに入ってからは一切電話は使わなかった。わずらわしかったのだ。

この電話だが、夕子が休憩のたび、インターを降りるたびにせかして、私にかけさせた。そして彼女と交代して、無事の声を母に聞かせた。
彼女が函館の五稜郭で夏風邪を引いた時も、「あたしの風邪のこと、言わないで。お母さん心配するから」と、まるで実の母親同然のように気遣った。
あんまり退屈だから、私は突如、「実は夕子が倒れた」と母に言った。そのとたん、頭を思い切りたたかれた。すぐに受話器を奪って、彼女はウソだと告げて母を安心させたが、再び私に代われとのことで、おこごとをいただいた。

母「あんた、夕子ちゃんは大事な人なんだからね、冗談にもそういうこと言うものじゃないよ ! 」
そして瞬時にガチャリと切れた音がした。
私は仮に彼女と所帯が持てたなら、世にざらにある嫁姑問題はないか、またはきわめて少なく、珍しい仲になると思ったものだ。
母の可愛がりようは一方(ひとかた)ならぬものがあった。

旅先から私が電話をかけても、すぐに夕子に代われとうながし、まだかなりの料金を必要とするやや長電話で、大半を彼女と話したものだ。
また夕子にしては珍しいことだったが、彼女は肌身離さずと言えるほど日常生活では携行していた手帳をわざと持たずにツーリングに臨んだ。
察するところ、すべてからの解放感に徹底せんとの決意があったのだろう。

うろ覚えの二人の記憶で書くしかないが、母への電話第一報は、出発時刻の早さから考えて、中央道を降りた時で、この時も夕子とかなり長く話した。
次が東北道に乗る直前で、本線に入って以降は、途中に必ず公衆電話があるかどうかもわからないので、見つかり次第お知らせしますと、夕子が母にていねいに話してあった。実はサービスエリアに公衆電話が設置してあったのだが、走行距離をかせぐために、小休止で済ませた。

宿泊のためにインターを降りると、必ず公衆電話から母に無事を知らせた。
この複数回にわたる知らせで、母はだいぶ安心出来たようだった。
一度、夕子が「お母さんと一緒に来たかったです」と言ったら、母は涙ぐんで、ありがとうねと言った。もちろん電話を終わった夕子から聞いたのだ。

なお、この昭和63年は、現在の住まいへの新築に向けて動き出していたので、そちらも忙しくなりつつあったが、北海道ツーリングからの帰宅は、前の家だった。
中央道を降りてからは、難なく富士市へ向かって走り、ちょうど良い時刻に、つまり母が起きて家事などをやっている頃に自宅に無事着いた。

私が一人で兄の住まいを訪ねて帰宅した時は、母は当然ながら私を満面の笑みで迎えてくれたが、この時は、明らかに母の視線は夕子に向いていた。
私には一べつくれただけだ。何か言いたそうに見えたほどで、果たして、母はあとで私に再びこごとを言った。
二台のバイクが、長駆(ちょうく)走行を終えて凱旋した如く排気音を響かせながら停止した姿は、我れながら壮観なものだった。

Z250FT20代.jpg
この画像は、私が27歳になったばかりの正月のバイク走行中のもの。不鮮明ながら、しめ飾りのようなものが見える。先行する車中から捕えた写真だが、撮影者不明。真冬でも相棒の個人教習は行なったから、正月には彼女も遊びに来て、私の家族と行動を共にしたことがある。

母はまず夕子をねぎらった。
母「夕子ちゃん、お帰りなさい。ホントにお世話になりました。こんな頼りない息子を連れて、よく無事に務めを果たしてくれましたね」
母はすぐに気を利かせて、夕子を玄関に入れた。私はあとから続いただけだ。
ここで初めて夕子が北海道到着まもなく風邪を引いたことを話した。
すると母は私に向かって非難の言葉を告げた。
母「あんた、夕子ちゃんに無理させないよう頼んだのに、やっぱり心配した通りなのね。全く思いやりがないんだから」

私は弁解せず、静かにしていた。代わって夕子が強行軍を実行したのは自分だと言った。すると母は私への非難を彼女には向けず、さらにねぎらいの言葉をかけた。
母「何しろ道中が長いものねえ。じゃあ、あなたが日程の調整なんかを考えて行動してくれたのね。悪かったわねえ」
いい気なものだと思った。
母「厚和、夕子ちゃんのおかげで無事行って帰って来られたのよ。お礼言ったの ? どうせ自分の行動力で旅行出来たとでも思っているんでしょ。夕子ちゃん、ごめんなさいね。でも本当に無事に帰って来てくれて良かった。ありがとうね」

もはやどうでも良いと思ったが、この二人は仲が良過ぎるのが難点でもあった。
だからと言って、別段それがもとで支障をきたすことはないが、私はほとんど無視されて、二人だけで会話が弾んだ。
何んとか予定日数7日ピタリに帰還出来たのだが、母は夕子が仮にもまだ夫婦二人暮らしなのを気遣いつつ、それでも夕子の労をねぎらって、夕食を勧めた。
当然かも知れないが、母の機転、行動は迅速で、事が決まり次第、身体が動く。

彼女は、自宅帰宅後のつまらなさを思ったか、「お言葉に甘えます」と言った。
母は早速私をせきたてて、車で買い物に出かけ、食材を用意する一方、出来あいの天ぷらのうまい店で、注文し、受け取り時刻を夕飯時と決め、帰宅したと思うまもなく、夕食の支度に取り掛かった。
夕子は夏風邪が治っていたが、母が身体を休めるよう、しきりに言ったので、茶の間でくつろいでいた。

やがて父をまじえて、夕飯となるが、父は口数が少なく、これにはちょっとした事情があるが、まずまず和気あいあいとしたムードで、歓談と共に夕飯のひとときが過ぎた。
薄暮からやや外が暗くなる頃、夕子は改めて母に礼を告げ、バイクで自宅へ帰って行った。
ここから母の態度が一変、軟化した。私は察しがついていた。
当時の家庭環境を承知して、彼女を気遣い、長距離ツーリングでも、彼女の活躍を大いに称える態度をとったのだった。
ゆえに、母のこの優しさは、私への気遣いでもあった。

母「ひろちゃん、あんた、また男を上げたわね。お母さん、夕子ちゃんの電話受けるたびに、うれしくて仕方なかったよ。ありがとうね」
母とは偉大な存在だと思った。男はこの点、単純なものである。旅先で夕子が風邪を引いたなどと告げようものなら、バイクで無理するからそういうめにもあうんだなどと言うのが関の山である。

後日、現像から戻った8ミリフィルムを編集し、サイレントのままだが我が家で上映会を行なった時、30分に余る映像を皆で見ながら、バイク嫌いの父でさえ、「ほほう、これはいい映画が出来たな」とほめてくれた。
無論、演出もあった。二人で並走するシーンは無理なので、例えば東北道本線から車線変更して、それでも休憩地へ向かって突っ走る夕子のライディングを撮影したあと、カメラを渡し、先行する夕子がさらに次の休憩地で待ち構えて、私の走行シーンを撮って、映像では、夕子のバイクの疾走シーンに、私のバイク走行シーンが続くように見えるという軽い工夫である。

思い出すと、わくが如くに話が尽きないので、これで終わりとする。






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最終更新日  2014.06.26 19:01:54
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