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カテゴリ:回想
「年末年始無しの独り言」
母が手ずから作るおせち料理を、やや弾む気持ちで味わったのは、いつごろが最後か、もう思い出せなくなった。 ただし、兄一家を暮れに訪問し、二家族で年末年始を過ごす習慣は、昭和の終わりごろからあり、逆に兄一家が我が家を訪れることも何回かあったから、あの頃は楽しかった印象がある。 もちろん、お互い家族水入らずで過ごすこともあり、母のおせち料理に舌鼓を打って、言うならば幸福感に浸れた。 仄聞した話によると、おせち料理は、それまでの一年間、毎日休むことなく家族の特に夕飯の料理を続ける主婦が、せめて年始の三が日くらいは、おさんどん、つまり炊事から解放されて、日持ちの良いおせち料理に相応しい食材を用意することで、束の間炊事を休むためのものだともいう。 しかし、母は長年の生活習慣と精神力ゆえか、必ず毎年、おせち料理一式を整えてくれた。男子厨房に入るべからずとは言うが、おせちを作るところをのぞくくらいは許されるはずだから、母がどうやって、豪華な料理を作るのかを見ておいても良さそうなものだが、私は、そろそろ飽きて来たテレビ番組に代わり、年末年始を楽しむために、オートバイであちこちのレンタル・ビデオ店に出かけたりもしたので、母丹精のおせち料理作りをじっくり見る機会を逃したままだった。 ただ、私にとってのおせちは、母が工夫を凝らした昆布巻きや黒豆、煮魚ではなく、ただ二品、豆きんとんと落花生なますだけと言える食べ方だったので、母はそのために、大量に作ってくれた。さらに正月を迎えても、私の食欲が旺盛だったので、この二品を追加してもらい、たっぷり食べたものだ。 結局母は、年末の大みそかには年越しそばを作り、正月になっても元日にはお雑煮を朝から作ってくれたので、余り身体が休まることはなかったはずだ。 母の家計簿を読んでみると、12月になっても体調を崩したことが記載してある。だが大みそか近くになると、猛然とおせち料理などの準備に余念がなく、年末年始は、見事に豪華なおせちのセットを何段かに積んだ容器に盛り付けてあった。 母は、一年間を通じてのおかずのうち、おみおつけだけは、具をたっぷり入れる作り方だったから、おみおつけだけで、おかずとして充分と言えた。親類の老婦人は、「これじゃあ、身汁(みじる)だよ」と批評したことがあったが、私は具がたっぷり入ったおみおつけに満足していた。 それに対して、正月に作るお雑煮は、具があっさりしたもので、餅以外は、大根と白菜だけと言える簡単なものだったが、味付けに充分満足して、たっぷり食べたものだ。 私はもっぱら食べるばかりで、いわゆるお袋の味のうちの、一つも教わることなく過ごして来たから、後年、せめてお雑煮だけでも作り方を覚えようと、母のお雑煮を思い浮かべながら、自力で作ってみた。 お袋の味とは、作れる範囲のものなら、実は自分の舌が覚えていることを思い知らされた。お雑煮は、ほぼ母の味付けに近いものとして完成した。 肝心の餅などは、最後に入れればよく、大根・白菜、そして汁の味付けで決まることも知った。 この自家製お雑煮を逆に母にも食べてもらい、平らげてもらった時に、やや満足した。 この時、簡単な煮物、金時豆の作りかたも覚えたが、独り暮らしでは、必ず食材が余ってしまい、うっかりすると傷んでしまうので、かえって不経済となり、今では一切作らなくなった。 年末年始は母が元気でいてくれた頃の抜群のおせち料理を味わった平成初年が最後のほうになり、私には年末年始無しとなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.01.11 01:14:18
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