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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2009年01月06日
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カテゴリ:クラシック
 例によって旅に出た際のコンサートの類いは出し惜しみしてあまり書かないんですけどね。

 今回、ウィーンフィルのジルベスターの立ち見に行ったら、いい歳をした年配、恐らくは5、60絡みのセーター姿の日本人二人連れが後ろででかい声でくっちゃべってました。曰くこんな調子。「いやぁ、なんですかね、あれは、日本人なのに蝶ネクタイなんてしちゃって、恥ずかしくないのかねぇ、本当に」「ホントですねぇ。着物なんて着て来たりして、なんでしょうね本当に」「うわ、あのドレスも派手ですねぇ。恥ずかしいったらないね、ホントに」「なんなんでしょうねぇ、あんな格好して」「あ、出て来ましたよ(団員が)。あ、いますよ、○○さん。」「あ、いますねぇ。いやぁ、我々、あの人呼び出してどうのこうのだったんですもんねぇ」<得意気

 あのですね、あなた達、本当に恥ずかしいですから、二度と日本から出ないで頂けませんか。というより金輪際日本でも人前に出てくるなこのバカ共。

 ニューイヤーコンサートに限らず、欧米でオペラやコンサートを聞きに行くと、存外正装した人達を見掛けます。日本人が、ではなく、明らかに現地の人と思しきも含めてです。
 何故か、というと、それは彼等にとって社交の場だから、というのがお約束の説明ですが、結局この種の人達は「それは自分達には当てはまらないのにそんな格好するのは変だ」と言うのでしょう。でも、やはりそれは決定的に違うのです。

 日本人にとって一番分かりやすいのは葬式だと思います。最近は妙な葬式も増えたけれど、日本での葬式というのは概ね宗教や宗派を問わず喪服、或いは黒の礼服に男性なら黒ネクタイ、というのが定番で決まっています。何故そうなのか、は、そうでない服を着て行った時を考えれば分かると思います。例えば明るいベージュの上下に赤いネクタイでもして行った人を見掛けたら、一体なんだこいつは、と思うと思います。まぁ、急に聞かされて御通夜に、てな時だったら、しょうがないので、背広は仕方無くても、ネクタイだけ黒を締めて、喪章を付けるとかして参列するのがせめてものライン、てなところではないでしょうか。
 何故黒なのか?それは、亡き人を悼む気持ちを表し、そこに居る人と同じ気持ちであることを表象する記号だからです。そんな記号に意味は無い、そんな記号に関係無く自分は悼む気持ちを持っているんだ、と言うのは自由です。でも、それは、遺族をはじめそこに居る人々の気持ちを逆撫ですることにもなりかねない。その記号を纏わないのは、悼む気持ちが無いからではないのか、という想いを掻き立てかねないから。だから我々は黒を身に付けるのです。
 ドレスコードというのは、つまり、そういうことなのです。

 正直、私も、幾らニューイヤーだからって、蝶ネクタイする気にはなれません。失礼ながら、着飾っている方々の中には、「いや、それはちょっと....」と思うお姿の方も居られました。でも、それを否定する気にはなれないのです。私自身はそういう格好はしない。それは、社交なんて柄じゃないと思うし、そんな格好をすれば一員になれるものでもない、と思うから。で、立見なら、タイも締めずにセーター姿で行くことだって、オペラの立見ならある。でも、じゃぁセーターと蝶ネクタイと、どちらがいいのかと言われれば、やはり後者の方がよほど真っ当だと思うのです。
 何故なら、我々日本人は、海外でのコンサートの場に於いては所詮闖入者だから。その闖入者として、折角の社交の場を破壊してはいけない、と考えるなら、蝶ネクタイを締めて、着物を着て行く方が、遥かにその場をrespectしていると思うから。所詮闖入者だから、どんな格好して行っても同じ、と言えば同じかも知れません。でも、その思想は、やはり何処か独善的なのです。葬式に黒ネクタイも喪章も用意せずに行ってしまう、そこまでの禁忌ではないにせよ、やはりそうした独善的なものがある。それでも、自分が勝手にそういう格好で葬式に行くだけなら、まだしも(なんだあのバカは?)と思われるだけで済む。喩えて言えば、わざわざそんな格好で行った挙げ句「うわ、なんで皆喪服なんて着てるの?バカだねぇ」と言うに等しいことをしている訳です。
 放言にしても許せない。しかも、学生とかそのへんの若造ならいざ知らず、あんたらいい歳だろうと。そんな人間がなんという恥知らずなことを言うのか。馬齢を重ねるとはこのことです。恥ずかしいから二度と人前に出て来るんじゃない、このバカ共。

 これは、単なる礼儀の問題ではない。文化というものは、時にそうした一見すると下らない決まり事に縛られていることがあります。でも、それにどう対処するかというのは、その文化を理解する能力があるかどうかを示すものでもあるのです。音楽が文化であり得る理由も、ここにあります。音楽だけがその辺にゴロンと転がっているのではなく、ある社会の中で、相応の仕組の中に位置付けされているから、音楽は生きたものになる。日本でクラシック音楽が上っ面だけのもの、根無し草になっているのではないか、というのは、この裏返しです。

 この両名、曲間に「いやぁ、バレンボイムの指揮は情熱的でどうたらこうたら」と言うとりましたが、まぁ、正直、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、指揮者の指揮がどうたらこうたらなんてあるもんでもないでしょ。選曲や、基本的な方向性の詰めでは色々あるだろうけど。
 もうどうしようもない俗物。こんなのがのさばってるから日本って.........

 ちなみに、今回思わず見とれてしまったお客さんは、日本語も話されていたので恐らくは在日の方だと思うけれど、目にも鮮やかな緑のチマチョゴリを着た妙齢の女性でありました。いや、結構美人だったし....写真撮っとけばよかった...... これは関係無いか。


 ことのついでに気になったこと、あと二つ。いや、こちらは、まぁいいんだけどさ、って話なんですが。

 その1。そのジルヴェスターとか、ウィーン国立歌劇場とか行ってですね、気が付いたんですが、何故か仏頂面の日本人男性が多いのですよ。緊張してるのかな、とか思ったんだけど、なんか不機嫌そうなんですよね。街中とか、帰りの飛行機とかでも同様。緊張してるのか、疲れてるのか、何か面白くないのか、よく分からないんですが、正直、ウィーン・フィルのウィンナ・ワルツなんて、およそこの世で最も能天気な音楽の一つ(笑)を聞こうって時に、なんでまたそんなに不機嫌そうな顔で居られるものやら。......お金が勿体無かった?うーん。

 その2。これは、日本人に限らずなんですが、特に東洋人に多いかな。
 例えばウィーン国立歌劇場の立見とかに並んでて、ヘッドフォンで音楽を聞いてる人が居るのですね。あれは、なんちゅうか........昔、「もうすぐゴハンなんだから、おやつは我慢しなさい!」とかって言われたことなかったのかしらん。いや、別にお腹一杯になるもんじゃないんだから、構わないだろうと言えば構わないんですが、なんか変だなぁ、とつくづく思うのです。これから生でオペラ見ようって時に、何か聞いてるってのは、なんなんだろう....







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最終更新日  2009年01月06日 22時58分47秒
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