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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2021年05月03日
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カテゴリ:クラシック
ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜
 3階右側

 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
          交響曲第4番 ヘ短調 op.36

 ヴァイオリン:木嶋真優
 東京交響楽団
 指揮:大植英次

 このブログは元々はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのブログとして始めたのに、それだと普段書くことないしな、ということで、常々行くコンサートのことも書くようになったものです。(ちなみに録音ものの話を書くブログは更にその前からあって、今も場所を移して残ってます。年1回書くかどうかだけれど。)とうとうラ・フォル・ジュルネが開催されずに2年経ってしまったので、本当に書くことが普段のコンサートだけになってしまったわけです。いや、その普段のコンサートだって減ってるわけですが。ただ、実の所、そんな経緯なので、真面目に書いてるというわけでもないんですよね。書かないままのコンサートは沢山あるし、一時期は面倒だからと殆ど書かずにいたし。まぁ、Twitterで呟いてるから、記録としては一応それがあるしな、ってところだったのですが。
 ともあれそういう感じなので、コンサートに行きました、その日の内にかきます、というように決めているわけではなく、気が向いたら書くわけです。先月の話を書くなんてのはザラで、一応順序は気にするけれど、別に前後してもかまやしないと。
 で、そんな書き方してると、聞いた時の印象と後から感じる印象とでは変わったりもするわけです。中には「もう忘れた」なんてこともないではない。細かいことを忘れるケースもあれば、そもそもあれどんなだっけ?みたいなこともあり。そんなパターンは、大抵短いですが、まぁ、短いからといって必ずしもそうとも限らない。いや、なんて書きゃいんだよあれは、みたいなこともあるし。時間が経ってからだと「あれ?」ってなってるけど、聞いたその時はよかったよかったと思って帰って来てたりすることも少なくないし。
 そういうのをあれこれ考え始めるとキリがないんですが、私は別に評論書いてお金もらってる訳ではないので、まぁいいや、と思っています。書く気になったかどうか、いつ書く気になったか、も含めての評価だろうな、という。そう。書く気になるならないも含めてコンサート評だよな、と思うので。ただ、いつ書くか、というのは、順序も含めてその時々で影響が出たりするものではあります。

 私がラ・フォル・ジュルネが好きである理由は幾らでも挙げられるのだけれども、理由の一つに、実は、「短期間に怒涛のようにいろんな演奏を聞ける」というのが間違いなくあります。実は、最近毎夏行っていたザルツブルク音楽祭も、そういう意味ではダブルヘッダートリプルヘッダーが普通に出来るので、短期間に集中して聞くことが出来るのですけども。で、そうなると、どうしても評価に影響は出ます。つまり、さっきこういうのを聞いた後でこれを聞くと評価が微妙に影響される、ということがあるのですね。逆に、さっき聞いてこれはよかったと思ったけれど、その後でこれ聞いちゃうとなぁ...というのもあったり。まぁ、私は基本LFJに関しては少なくともその最中はネガティヴなことは書かないというようにしているのではありますが、率直に言うと、そういうのはあります。

 なんでこんな話を長々と書いているかというと、今日の公演、恐らくは普通にそれだけ聞いて帰って来たら、「うん、まぁ、いいんじゃないでしょうか。」で終わってたかも知れないと思うので。
 でも、私は、昨日も聞いて、今日のこれを聞いているわけです。同じミューザ川崎で、東京交響楽団を。その結果どうだったか。いや、それを抜きにしても.....とは思うんですけれどね。

 今日もミューザ川崎は定常運行。この公演は本来は1月に行われる筈だった川崎定期の延期公演という位置付け。1月は緊急事態宣言下で中止にして、この日に延期と。なのでプログラムは1月のものがそのままで、日付とコンマス変更の修正のお知らせが。
 正直言うと、LFJが無いらしいぞ、と分かったところでこのチケットを買ったのでした。東京が緊急事態宣言再発、という話も追っかけて出て来たし。元々GWはそんなに公演は多くないし、その中で選んだら結局ミューザ川崎ばっかりになっちゃったんですけれどね。

 今日は定期演奏会の繰延公演ということで、そこそこのお客の入り。とはいえ正面席は空席も目立ち、まぁ、いいとこ6割くらいなんでしょうかね。

 で、どうだったかというと......正直言うと、ふーん、という感じでした。率直に言うと、昨日に比べてなんでこんななの?がっかり。といったところ。悪くないけどね、と言ってもいいかも知れないけれど。勿論、昨日に比べると聞いてる場所は決して良くはないのですが、それにしてもこれはちょっと。
 多分、これ、今日来てたお客の多くの感想とは違うんだと思うんですよ。でも、まぁ、合わせる訳にもいかないので。少なくとも私は暫く東響は聞かなくてもいいかな、という感じ。

 何がいけないのか。
 まず、今日はチャイコフスキー・プロ。ヴァイオリン協奏曲と交響曲の4番。それはいいと思います。勿論こちらもそれと分かって聞きに行くのだし。ただ、まぁ、そもそもこの辺のチャイコフスキーの曲は、後期ロマン派で国民楽派というやつなので、どうしても演奏的には派手になります。つまり、日本のオケのお家芸、「力み返ったフォルティッシモ」が炸裂するというわけです。特に交響曲の4番は。そして今日の東響はその期待(してないんだけどさ)を裏切らない力み返りっぷり。
 いや、ここまではしょうがないと言えばしょうがない。そもそもそういう演奏を要求している曲とも言えますのでね。ただ、昨日はそういう演奏ではなかった。それを私は知っている。今日の編成は、全容は見ていませんが、交響曲の方で1stと2ndのヴァイオリンは14-12-...だったと思います。協奏曲の方は12-10-... ということは、昨日の「リンツ」と大差無い。精々1プルトづつ増やしてるだけ。いや、これくらいで標準的と言っていいと思いますよ。でも、その結果出てくる音がどうなのかというとね......

 問題は、管楽器。これがよくない。下手くそ、というのはまぁそうなんです。でも、ちょっとそれでは済まないな、という。
 たとえば、交響曲の第2楽章、オーボエだったかな?木管のソロで始まりますね。これが、なんというか、とても不用意に入って来ちゃうんですね。それは第4楽章でもそう。こっちは金管の爆発だけれど、こちらは、とにかく爆発させてるだけ。
 率直にいうと、音楽的じゃないんです。決してやってる方はそういうつもりじゃないんでしょう。でも、聞く側からすると、突然「ドン!」と持って来られる感じなんですね。いや冒頭なんだからそういうもんだろう、と?そういうこととはちょっと違うんですよね。これは協奏曲の方でもそうなのだけれど、音楽的に脈絡が感じられないんですよね。後にどういう音楽が続くのか、他のパートが何をやっているのか、聞いてる感じがしない。
 引き合いに出すと申し訳ないけれど、昨日のモーツァルトではそんなことはなかったんですよね。音楽が違う。編成が違う。それはそうです。だけれども、ねぇ。率直に言うと、音楽として、勝手な聞き手の感想として言うと、昨日は1時間強、通常のフルサイズのコンサートに満たないのを聞いて、若干食い足りない感じはありつつも、「ああ、音楽を聞いたな」という感じがあったのですね。今日のコンサートを聞きながら、そうか、昨日のあれはそうだったな、と改めて想いを強くしたのです。そして、今日のコンサートが終わって思ったのは、今日は感じなかった「ああ、音楽を聞いたな」という感じが、確かに昨日はあったのだな、と。その一点だけ、いや、そもそも聞く側にとってコンサートってその一点が全てだよね、と。全然違う音楽だし、環境も違うし、好みも勿論あるし、でも、やっぱり、そういうことを超えたところでの充実感の有る無しが決定的に違う。

 無論、そこには、指揮者の責任がある訳ですが、そもそもの問題として、何したいのかよく分からない指揮だったなぁと。要するに、細部をどう表現するか、というのが甘いんですね。だから、音は出ているけれど、結局何をさせたいんだ?という演奏になっている。元々最後はどんちゃん騒ぎで終わる曲ですよ、確かに。でも、そういうデリカシーのない曲だからこそ、デリカシーを持って演奏していかないと、本当にただのどんちゃん騒ぎになってしまう。
 その割に弄るんですよね。これも交響曲の第4楽章だけれど、これはロンド形式なので各部が繰り返しやってくる、その移行するところではっきりフェルマータを入れて間を空けるのです。まぁ、それはいい。いいのだけれど、はっきり言って空け過ぎなので、音楽が切れてしまうんですよね。何故そうしたいのか。はっきり言って意図が分からない。いや、理屈はいくらでもあるのでしょう。けれど、これだけデリカシーのない、と言って分かりにくければ、意を尽くした跡が感じられない演奏をしておきながら、そこにどういう理屈が意味を持つ余地があるんだと。
 私はあまり大植英次って聞いたことないと思うのですが、正直言ってこの人聞かなくてもいいかなと。なんか、日本人指揮者でこの辺の年代の人達って、人気はあるけれど皆いけてないんですよね。大植英次に大友直人、佐渡裕、広上淳一、大野和士、まぁ、大野和士とか、おまけして広上淳一あたりはまだ若干はマシかなとは思うけれども、まぁ同じようなもの。皆人気はあってケレン味はあるけれど、本来脂の乗ってるところなんでしょうが、正直聞いていてなるほどと思ったことがあまりない。どうしてなんでしょうね。日本のオケの定期演奏会には盛んに出て来るからそこそこ聞くのだけれど、なんか芯のないフラついた演奏が多いなぁと。その一方でプログラミングとしては後期ロマン派とか国民楽派とか大好きで、派手にやらかすのが多いんですよね。
 そんなのばっかり聞いて育ってる聞き手が多いから、皆そういうのがいいんだって思ってしまうんでしょうか。でも、これって、確かに海老も帆立も入ってるけど、古い油で揚げたべちゃっとした衣ダボダボの天ぷらで、しかも味付けにこだわってるとか言いながら、この天つゆ化学調味料メインですよね、みたいな。昨日のモーツァルトは、極上のカラッと揚がった野菜天ぷらでしたかね。衣はあるんだかないんだか分からないくらい。それをシンプルに食塩で頂く、的な。あー、これじゃ好みの問題かもなぁ....ま、絶対違うと思いますけれどね。

 昨日も書いたのだけれど、このコロナ禍で若手の指揮者に、国内に限った話にせよチャンスが結構与えられた結果、色々変わって来るのではないかなと期待しています。名高くはあるけれど、出て来る音楽がいまいち美味しくない人達よりは、そういう人を今後ももっと登用していって欲しいと思います。まぁ、今日聞いて、東響とか当面いいかな、と思ってしまったので、あまり聞かないかも知れないけれど。

 最後になりましたが、協奏曲の独奏の木嶋真優。まぁ、いいんじゃないでしょうかね......これは昨日とはちょっと比べられないし。ただ、これは比較して、というのではないですが、オケとも相俟って、進むに連れてちょっと実の感じにくい演奏になっていた気はします。最初は割といいかなと思ったんですけれどね。





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最終更新日  2021年05月03日 01時34分58秒
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