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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2022年10月31日
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カテゴリ:オペラ
神奈川県立音楽堂 15:00〜
 後方右手

 ヘンデル:シッラ

 シッラ:ソニア・プリナ
 クラウディオ:ヒラリー・サマーズ
 メテッラ:スンヘ・イム
 レピド:ヴィヴィカ・ジュノー
 フラヴィア:ロベルタ・インヴェルニッツィ
 チェリア:フランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリ
 神:ミヒャエル・ボルス
 エウローパ・ガランテ
 指揮:ファビオ・ビオンディ
 演出:弥勒忠史

 音楽堂室内オペラプロジェクト第5弾、と銘打っての公演。元々は2020年2月に準備されていたものが、コロナでお蔵入りになってから、2年半を超えての公演ということです。正直、その当時はこっちはそれどころではなくて、ここまで手が回ってなかったので、まぁ、その辺の経緯に思い入れはありません。
 土日の2回公演の二日目、日曜日。客席はほぼ満席。幾らか空席もあったようではありますが...という程度。まぁ、元々一千人かそこらの客席しかありませんからね。なので、結構後ろの端の方なのに、珍しくS席1万5千円也。発売を逃していて、安い席を買い逃したのでした。まぁ、新国のS席なんかよりはよっぽど安いんだけれどもさ。

 で、どうだったか。結論から言うと、いい公演だったと思うんですがね。

 演奏はファビオ・ビオンディ率いるエウローパ・ガランテ。所謂古楽演奏団体.....という言い方もどうなんでしょうね。30年くらい前に、ヴィヴァルディの「四季」の画期的な演奏を、確かopus111だったかのレーベルから引っ提げて、それこそ彗星のように現れた団体でしたっけ。それまで「ヴィヴァルディの四季」といえば、イ・ムジチ合奏団かパイヤール室内管か、シュトゥットガルト室内管か、というくらいで、異色といえばカラヤンがベルリン・フィルといれたのもあるぞ、といったようなところに、アーノンクールあたりが斬新な演奏を、というくらいでしたから、まぁ、なんというか.....若い人にはピンと来ないかも知れません。昨今は速めのテンポで、小編成でデュナミークの振幅を大きく取って、レガートにしないで一音一音包丁で切るように、というような演奏はむしろ当たり前になっていますが、それを顕著にぶつけてきた時代の走りの一つだったように思います。ああ、勿論ノンヴィヴラートで、というのもあるのですが、それよりもこうした特徴の方がもっと衝撃的だったなと思います。まぁ、そういう意味では若干感慨深いものはあります。
 まぁ、それはそれとしても、そういう団体ですから、編成は遠目にしか見えませんでしたが、上記に書いたような「四季」の頃からの「斬新」な演奏スタイルは変わらず。勿論、今ではお馴染みの「古楽演奏」スタイルではあります。少人数の編成で、必然的に管や鳴り物の比重が高くなる。メリハリの効いた演奏。
 歌唱陣は、今時のこうした公演には珍しく、カウンターテナーが居ません。ビオンディの意向らしいという話も目にしましたが、女声を起用する方がカウンターテナーよりも現代では自然だろう、ということらしいです。結果、外題役のシッラ、歴史上はスッラですが、は、コントラルトが歌っております。性別逆転、ですね。まぁ、それで不都合があるというわけでもなく。各人よい歌唱を聞かせておりました。特に2幕でのチェリアとクラウディオだったかの長大な二重唱は秀逸。

 ただ、まぁ、そもそも「シッラ」というオペラ自体が、やや問題含みというか。正味2時間ほどのオペラなので、3幕物で2回休憩を入れながら、予定では2時間35分、実際にも15時に始まって18時10分前にはカーテンコールも終わっているというくらいなのですが、その短い時間にとにかくアリアを詰め込んでいる。まぁ、考えようによっては、お得感満載の作品なのですが、言い換えると次々とバロックオペラ系のアリアが続くので、ドラマとしてはやや弱い。そして、歌唱陣が、皆が皆耳目をそばだてるような大変な人達かというと、まぁ正直それほどでもない。さっき「各人よい歌唱を...」って書きましたが、本当は最初にするっと出てきたのは「各人ほどよい歌唱を...」という言葉。悪くはないんですよ。先に書いたようにチェリアとクラウディオの二重唱とか、ドラマ性もあって、良かった。言い換えると、例えば1幕で次々と順番に(本当にそんな感じ)各登場人物がアリアを歌っていくのは、聞いてて悪くないんだけれども、段々なんか同じようなの聞かされてるなぁ、という気にもなってくる。
 いや、バロックオペラってそういうところあるじゃない、というのは事実ですが、この「シッラ」は短時間に色々詰め込まれているのでその傾向が顕著でして。ドラマの弱さがよく見えてしまう気はします。

 演出。これを、カウンターテナーの弥勒忠史がやるという、ちょっと皮肉。
 アイディアは決して悪くないと思います。意味はあんまりないですけれどもね。
 音楽堂の舞台は、元々それほど広く使えるものではないので、一応エウローパ・ガランテは舞台前のピットエリアに下ろしていて、舞台上演という態だけれど、ちょっと制約は多い。幕はないですしね。プロセニウムも無いし。
 そこで、一言で言ってしまえば、歌舞伎調の舞台に仕上げてきました。衣装は着物風のもの、メイクはあからさまに歌舞伎風。舞台セットは簡素なもので、6つの赤い背の高い「枠」があって、これがある時はスクリーンとして衝立になったり、はたまた枠として牢を表したり、と、色々。まぁ、舞台的には写実的ではないです。とはいえ、そもそも「バロック期に共和政ローマ時代の話をオペラにしたもの」ですからね。そういう意味ではなんでもありだと思います。なにしろ「古代ローマの正しい写実的表現」なんて見たことある人いないんだもの。まして、ヘンデルの時代の認識では、なんて考えたら、馬鹿馬鹿しくなります。そういう意味で、このホールでやるということも考え合わせれば、着想としては十分あり。そして、演出として、決して失敗ではないと思います。どうせわけわかんないんだし、と思えば、ある意味少なくとも邪魔はしない演出だったと思います。敢えて勝因を挙げれば、過剰に歌舞伎化しなかったこと。見栄切らせたりなんてことしなかったのは、ある意味節度のあるやり方、なのでしょう。弱いといえば弱いし、そういうノイズをわざわざ入れ込むことになんの意味があるのか、という見方もあるだろうけれども、そもそもこのオペラに意味なんてあるのか、くらいに思いながら観ていた身としては、悪くないと思います。
 強いて言えば、幕切れでしょうか。このオペラ、いわゆるデウス・エクス・マキナ、機械仕掛けの神様でもって、強引に御都合主義で終わらせる類のオペラなのですが、そこの処理は映像処理で済ませて、最後にエアリアルって言うんですね、シルク・ド・ソレイユみたいな、布にぶら下がって曲技を見せる類のパフォーマンスが入って、まぁ、それはそれで面白かったけれど、正直そっちに釘付けで、最後はあんまり聞いてなかったような。これは良し悪し意見は分かれるでしょうけれど。
 まぁ、全体的には、私は悪くないな、それなりに楽しめたかな、という公演だったのですが、最後、演出家が出てきたところで、ブーイングが。今時ブラボーとかブーイングとか、御法度なので、こんなの久し振りに聞いたぞ、と思ったのですが。ちなみにこの日は確かブラボーは無し。皆さんやって良かったくらいに思ってたと思うので、それだけに、擁護のブラボーも起きないブーイング、ねぇ.....

 ここからは、個人的な推測混じりの、本当に個人的な感想なのですがね。

 私、この公演、いいと思って帰ってきたんですよ。それは間違いないし、楽しんだ。公演それ自体に特筆すべき欠点もない。ただ一つ挙げるなら、そもそもこの作品あまり面白くなくないか?という程度。ええ、バロックオペラって、こんな感じでしょ?
 でも、正直言うと、今月初めに​新国で「ジュリオ・チェーザレ」観てる​じゃないですか。あれもね、演出はそれほど素晴らしいわけじゃなかったし、歌唱陣は多分今日より微妙だったし、大体がリナルド・アレッサンドリーニとはいえ東フィルでね、って話じゃないですか。でも、今見返すと、私結構冷淡に書いてるけれど、率直に言って、あれはかなり面白かったなと思うんですよ。で、うっかりすると今日のより面白かったかも知れない。演奏は比べ物にならない?そうかも知れません。あっちは現代オケで工夫していたとはいえあくまで現代の演奏。こっちは、20世紀末から21世紀に掛けての古楽演奏の雄が率いる団体の演奏。どちらがより「オーセンティック」か、といえば、こっちなのでしょう。こっちの方が断然「古楽」してる。
 個人的には、しかし、どちらもいいと思うけれども、オペラとしてどちらが面白かったか、完成度が高かったか、といえば、ひょっとすると新国の方じゃないか?と思うのですね。それは、あちらの時に書いたけれども、「現代の劇場で上演するオペラ」としての良さを引き出していたからだと思うのです。
 今日の公演、実は、これをS席1万5千円で聞いたことに、後悔はしていないけれど、面白かったけれども、コストパフォーマンスが.......と心の片隅で思った面が無いとは言えないです。そういう冷静というか冷めた部分があるのは事実。

 で、ブーイングです。私、このブーイング、理解出来ないんですよ。そう悪くない演出、と言って悪ければ、上演上の処理の仕方はそれほど悪くないと思うんです。でもブーイング。シルク・ド・ソレイユが脈絡なくて気に入らない?そうじゃないだろうt、というか、多分それだけではあるまいよ、と。
 それで、ちょっと思い出すのは、今日幕間で耳に入ってきた会話なんですが、なんかこうこの話がどういう話か、とか、全然ご存知ない風の話をされてましてね。なんか、劇の内容には興味ないというか.....
 で、思うんですが。ひょっとすると、今日の人の少なからぬ部分は、「エウローパ・ガランテの演奏を聴きにきた人達」なのかな、とかね。オーセンティックな古楽演奏を聴きにきたよ、オペラという態だから劇仕立てなんだけど、あれあれ、なんでこの人達着物着てるの?なにこれ?最後には曲芸?なにやってんだよ、こんなのちっともオーセンティックじゃないじゃないか、邪魔すんな!.....そういうブーイングだったのかしらね。そして、擁護の声も挙がらなかったのは、ブーイングまでせずとも、それに近いように思う人の割合が、あるいは少なくなかったのかしら、とか。
 まぁ、ね。エウローパ・ガランテの公演と考えれば、ね。私はトイレ行きたくてカーテンコールの途中で出てしまったのだけれど、その後、「以上をもちまして...」と終演のアナウンスが入った後も拍手がやまず、恐らくは皆退場するまで拍手してたのか、もう一度「以上をもちまして...」のアナウンスが。こんなの初めて聞いたけどね。

 ただ、一つだけ申すならば、新国で指揮したリナルド・アレッサンドリーニは、ビオンディが出立ての頃、チェンバロ奏者とヴァイオリン奏者として組んでいたこともある程度には近しいのでして。そういう意味では同根だと思うんですけれどもね。そして今の両者の立ち位置もそう変わらない気がします。
 そういう意味では、まぁ、不満はないのだけれど、面白かったけれど、なんとなく引っ掛かるものを感じながら帰ってきたのは事実です。勝手に、本質的でない所で引っ掛かってるだけなんですけれどもね。











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最終更新日  2022年10月31日 03時32分44秒
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