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2022年11月27日
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カテゴリ:オペラ
結局体調不良で2度目のボリス・ゴドゥノフは行きませんでした。まぁそもそもあれだけ酷評しておいて行く気になるものか、と言えば、確かに生理的にも論理的にも社会的にも気持ち悪い演出なので、行かないのは普通ではあるんですが。ただまぁ、こういう演目なので、行けるものは行っておきたかったのですけれどもね。とはいえ、珍しいから、というだけでもないと言えばないのも事実なのではありまして。前回触れなかった音楽面の話を少し。

 まず、言ってしまうと、こちらはなにしろ録音で聞いてる回数が圧倒的に多い作品ですので、どうしても歌唱陣についてはそういう記憶に引っ張られるところはあります。それを承知で申すならば、まぁ、特段特筆するほどの歌い手はいなかったと思います。とはいえ、そもそも外題役が圧倒的にメインですからね。グリゴリーやピーメンが多少いいからって、だからなんなの?という話にはなるので。まぁ、言い出したら、ボリス・クリストフだのと比べてどうなの、みたいな話になりますからね。そこまで言わずとも、まぁ、これじゃダメだろ、みたいなレベルではなく、そういう意味では遜色はなかったのではありますが。他は、まぁ、そういうわけで、ワァワァ言うほどの役ではなく、ワァワァ言うほどの出来でも、どちら向きにも、なく、というような。ボリスの子フョードルの黙役(歌手は他に当てている)にして聖愚者役が熱演だと評価されていましたが、歌唱的にはともかく(悪くはない)、この演出でそこ誉めて意味あんのか?とは思います。
 そういう意味で、総合的には、悪くなかったのだと思いますよ。発音とかは流石にこちらもこの辺はよくわからないし。

 先にオケの話をすると、オケは新国では珍しい、うっかりすると初ではないかというくらいの、東京都交響楽団。.....正直、私、このオケあんまり好きじゃないんですけれどもね。いつも「なんか足りない」ってなるんですけれども。足りなくて致命的なのか、足りなくて悪くないけど物足りないなのか、その辺はまぁいろいろあるにせよ。その辺はまぁ指揮者でどうにかなるものではないなと。この日は大野和士でしたが、総評的に言うと、多分「まぁこんなもの」だったのかと思います。まとまりはそれなりにあったと言っていいと思います。
 実のところ、はっきり言って「物足りない」というのが本音です。そもそも民衆劇の側面もあるこのオペラ、ダイナミズム、デュナミークというほど繊細な話でもなかろうとは思いますが、単なる音量に止まらない振れ幅が、如何にも薄い。
 ただ、これは少し全体で考えなければいけない気はしていて、つまり、散々言っている様なこの演出が、敢えて「民衆劇的なダイナミズム」というものを無視して矮小化する方向で作られているのだとするならば、必然的に、音楽もダイナミズムを持つ方向には行かないわけです。そういう意味で、敢えてポジティヴな言い方をするならば、よりリリックな方向に音楽を持って行くという考え方はあるわけで、そういうアプローチとして考えると、こうなるというのはあり得るとは思います。

 ただ、それがいいのか、というのは別の問題で。
 前回も書きましたが、民衆の合唱の場は如何にも薄っぺらくなってしまっていて、この辺は合唱の責任でもありますが、やはりそれは「ボリス・ゴドゥノフ」ではなかろうよ、とは思うんですよね。そう、合唱に関して言えば、人数の問題でもあるのだけれども、如何にも圧が足りなかった。でも、こういうオペラでは、声量がどうとかだけではなくて、やはり人数を重ねてでも「圧」が欲しいと思うんです。ただ、こういう演出でアプローチするなら、敢えて「圧」を減らす選択はあるし、そういうことなのかも知れない、
 ただ、それなら、もう「ボリス・ゴドゥノフ」なんてやるなよ、とは思うんですよね。

 「そういう演奏」として聞く分には、それなりに評価出来るという面はあったと思います。その意味で、聞いといて損は無いな、と思ってはいましたが、ね。ただ、率直に言って、だから高い評価、というものではなかったと思います。





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最終更新日  2022年11月27日 19時25分42秒
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