アフォーダンスとお弁当の日と
※私のモバイル会員向け配信メールから
※写真のひとつは私が詰めたお弁当です。
78人のはたけやま朝NEWS!のおなじみさん、おはようございます。
▼昨夜も急なお誘いながら、様々な人に集まっていただき、いろんな人の悲喜こもごもが聞けました。まさに親戚同士のような寄り合いで、こうした人間ドラマがあってこその地方紙を作っていきたいなぁと思います。
▼さて、今日の朝NEWS!のタイトルは、なんともヘンチクリンで失礼します。
たまには、私に似合わずデザインの世界の話を・・・。複数のメディアを活用して多くの人に伝えようとする際に必要になってくる概念は「コミュニケーション・デザイン」。
新聞にも人が目を引くように配慮されたカットやデザインが重要視されています。造形美も必要ですが、「アフォーダンス」と呼ばれる、人が椅子に座りたくなるデザイン、人が読みたくなるデザインという概念があります。
昨夜、なかなかこの言葉って深い意味があるよねと話していた「無駄に☆☆だね」ということ。言葉の奥にこだわりや好奇心が生み出す価値を感じています。
あなたも「アフォーダンス」を「無駄に」調べてみませんか?うふふ。
▼久しぶりに日曜日に家にいますと、伝えたいニュースが満載で何から伝えたらいいか、悩んでしまい「無駄に時間がかかってしまいました」。
そうこうしていたら、はたけやま朝NEWS!のかわいい読者から、痺れを切らして先に今朝の新聞の感想をいただきました。
アフォーダンスにも通じる話?かなと思うので、「▽印」で紹介させていただきますね。
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▽18面読書欄「自分に合う 見極める」。
右習えのブランド志向の次は、猫も杓子も「自分らしさ」。確かにファッションは、着る者の心を表し、見る者に伝える効果がある。
仏陀や仏弟子が着ていた衣は「糞掃衣」という。墓地などで拾った布から作り、同じ衣を縫い繋ぎながら何年も着続ける。仏教の精神性を表すものだ。
柳宗悦は日本政府の朝鮮弾圧に心を痛め、読売新聞に「朝鮮人を想う」を連載した。彼が朝鮮に足を運んだきっかけは、朝鮮磁器の素朴な美しさに心を打たれたからだった。ファッションというより造形美の話になってしまうが、形が心を繋ぐ顕著なエピソードといえよう。
ファッションを単にビジネスのツールや虚栄、自己保身として利用するのは虚しい。形や色を楽しむ心、ものを大事にする心、作り手を想う心があってこそ、ファッションが生活を豊かにするのではないだろうか。
▽一面河北春秋。
小中学生時代を田舎の小さな学校で過ごした。小学校では朝から夕方まで校庭に出て思い切り遊んだ。中学校では朝から夕方まで部活に打ち込んだ。冬は雪道を自転車で漕ぎ進む。
先生も生徒もジャージでいることが多かった。田舎だからかもしれないが、おかしいと感じたことはない。高校になると常にジャージ着用の先生は少なく、大学ではついぞ見かけなかった。
小学校や中学校は生徒とともに教師が運動する時間も長いのではないか。ジャージ着用は市議や新聞が話題にするぐらいの問題なのだろうか。
さすがに出勤時や式典の際にジャージの教師はいなかったと思うが。もっとスタイリッシュにジャージを着こなせばよいのか。
野暮な人間がいるのはなにも教師に限ったことではない。仕事の内容を考えると、教師のジャージ着用は、「粋」を考えさせるメッセージとしては説得力に欠ける気がする
また、学校と世間とのずれを問題としたいのなら、もっと他に論じる点があるように思う。
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▼朝に私より早いコメントをいただき、本当にありがとう。この服装、ファッション、ジャージー(仙台では「ジャス」ね♪)の話題。
私が感じるのは、自分が着てる服装を自らが「こういうワケで着ているんだよね」とまずはしっかりと話せれば、ジャージーであれ、説得力が生まれるのではないでしょうか。
もちろん相手に与える印象も、「自分のために」相手に合わせる配慮も必要ですが、知事に強制されるべきものではないでしょう。
シチュエーションに合わせ、自分をよりよく好感度を持って見ていただける「アフォーダンス性のあるファッション」を推奨したいのです。
あっ、よくわからなくなってきましたか?例えて言えば、「熱中時代の水谷豊」が「ずっとスーツ姿」だったりしたら「熱中先生」じゃないでしょっということ???
あっ、20代のおなじみさんには、余計にわからなくしてしまったでしょうから、今回はこの辺で・・・。
おっと、この朝NEWS!のメールも「意見を返信したくなるアフォーダンス性のある文章」を私自身が学ばないとね。テヘへ。
というわけで、このファッションと服装談義に関しても感想を「無駄に勝手に怪しげに」お待ちしていま~~~す。