カテゴリ:まち・みち・とち
9時38分発のバスで京王八王子へ向かった。おどろいたのは車内の混みかたで、びっしりと立っている状態はいつもの通勤状態と変わらない。きょうは休日なのではなかったのかと周囲を見渡してしまった。 10時13分発京王線準特急から調布で都営新宿線急行に乗り換え、神田・神保町まで1時間強。あんがい早いなと思いながら岩波ホール方面出口A6に向かう。 しかしこの駅、毎度思い知らされるのだが、エスカレーターもエレベーターもなく、呼吸器が悪いぼくはとても苦しい目に合わされる。 A6出口も無骨で急傾斜の長い階段だけだ。覚悟を決めていたものの途中で立ち止まってしまった。息を整え再び挑戦。手すりにつかまってやっと岩波ビルの地下1階にたどりついた。 ここからはエレベーターがあるから安心だが、10階についても息が上がった状態だった。 扉が開くとエレベーター前の椅子に摂津さんが座っている。 早めにきたつもりだったが攝津さんはさらに早く来ていてくれたのだ。 いま、岩波ホールでは羽田澄子さんの新作『嗚呼、満蒙開拓団』を上映中。この映画の公開を知ったのはひと月ほど前なのだが、摂津さんが教えてくれたのだった。 土曜日の第1回目上映だからか、入場者がけっこう多い。羽田さんのためにも岩波ホールのためにもよかったなと思う。 中に入ると摂津さんのおともだちがいた。 目のくりっとした女のひとだ。 きちんと目を見つめ合って自己紹介。あかるく、口調に無駄がなく、健やかなひとという印象。挨拶を交わした一瞬あとに、何年も前からの知人という感覚になった。 映画のあとランチョンで軽く飲み、昼めしをとる。 いつだったか、摂津さんに岩波ホールで映画を観てランチョンで昼めしを喰うというのはいかがですかと誘ったことがあったが、それがじっさいの局面となったわけである。 神保町での半日はのんびりしたもので、ここ何年か味わったことのない愉しさだった。 以下、のちの書き加え。 映画のことも書きたかったがそれは別の機会、別のページで行うこととし、とりあえず神保町の喫茶店について。 ……… ○ ……… ○ ……… 去年のいまごろ、学生時代からの友人が急死した。 もっともぼくにとっての急な死であって、ご家族始め周囲のひとたちにとっては覚悟していた逝去だっただろう。 7月になるとどうしても、彼はもういないという事実に向き合う気持ちになる。 彼とはよく神保町で食事をした。 最後となった食事も神保町の中華料理店で、腸詰めがうまかった。他にもずいぶんたくさんの皿を並べてくれたのだが食べきれず、残す羽目になったことがいまも申し訳なくてしょうがない。 その友人は酒を呑まず、ぼくひとりで老酒を何杯も呑んでいたもので腹がいっぱいになってしまったのだ。 その後、あのときはたしか古瀬戸珈琲店に入ったのだった。 休日など、自宅にひとりでいてクラシック音楽を聴いているとたいへん充足するというような話をしていた。 きのうの土曜日、神保町に出かけていった。 古瀬戸ではなくミロンガに入った。 あの夜、中華店を出て小路を歩きながら、友人が「タンゴは好きですか?」と聞いてくれて、大好きですよ、ミロンガに向かっているのですか? と答えたそのミロンガだ。 「あ、知ってるの?」と問い返され、知っているどころか「学生のころから入り浸りだった」と答えると、じゃあ違うところにしようと、彼はミロンガとは逆の方向に曲がり、古瀬戸珈琲店のドアを開けたのだった。 きのうのミロンガ。 入った瞬間にかかっていた曲はホセ・バッソの演奏だった。 ピアノの感じがディ・サルリ楽団や、あるいはサッソーネ楽団の音色に似ていたのでLPジャケットを確かめに行ったのだ。 そうしたらホセ・バッソとある。 じつにすばらしい演奏だった。 で、神保町はいいなぁと思うことしきりなのであった。 ミロンガを出、歩き慣れた路地を行くとあの店にもこの店にも入りたくなる。 思わず、入りましょうかと摂津さんにいいたくなった。 しかしそうはいかない、八王子まで帰らなくてはならず、土曜日はバスの最終が早いのだ。 で、残念ながらあきらめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.07.08 21:34:00
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