カテゴリ:回り灯籠
5時に目をさます。 陽くんがまだ起きている。 締め切り間近の書類を書いていて徹夜になったらしい。 ラジオニュースのトップはG20の情勢。 つぎが野田首相の沖縄訪問、仲井間沖縄県知事との会談だった。 釜石市に通うNPO蜘蛛の糸・佐藤久夫さん(秋田市)の報告。 被災地に格差が生じたと、重く話す。 すべてを失った人々と災害をまぬがれて大繁盛に盛り上がる人々がいるという話が印象深い。 「天国と地獄です」といっていた。 きょうの出来事。 1955年(昭和30年)のきょう、2月27日にNHKでの選挙開票速報が始まったと知る。 議会選挙についてのぼくの最初の記憶は小学校のころ、6年生になっていたかもしれないが学年は覚えていない、教室に貼る壁新聞を作っていたことだ。 選挙結果を報ずる新聞を開き、あした貼る予定の壁新聞にその記事から議席数などを書き写していた。 ある日の夕飯後、高輪の家の居間、というかいつも家族がそろう部屋でのひとこまだ。 あ、ふいに思い出した。 別の日の壁新聞で「皇太子がエリザベス女王戴冠式に出席するため渡英」という内容の記事を書いた覚えがある。 となると1953年だから、ぼくは小学5年生だったわけだ。 ネットで調べると3月30日とあるから、小学校はまだ春休み。 4月に新学期が始まって最初の壁新聞に書いたのだろう。 話を戻すが、1955年のきょうから選挙の開票速報が行われるようになったという事実には軽い衝撃を覚える。 その後の57年間、開票速報に聞き入ったり見入ったりしてきて、速報番組がないなどという状態を想像も出来ないと気づいたからだ。 1971年(昭和46年)のきょう、成績表に1をつけなくてもいいことになったという。 これについては中学校時代の思い出がつきまとう。 あるとき、5段階査定の成績表はどうやってつけるのかと担任教師に聞いたことがある。 中学2年か3年のホームルームのような時間だったと思うが、当然ながら教室のみんなが興味を持っていた。 ぼくらの教室には、たしか60人近い数(時期に応じて増減があったけれど)の生徒がいた。 そもそも、ぼくらは5段階の成績表というありようが理解できていないから、話はそこから始まった。 1が3人、5が3人、あとは成績に応じて配分する決まりがあるという説明に「え?」と思った。 もちろん、どうして「3人」なのだ? という疑問が生じたわけで、担任教師の説明は「決まりがある」という以上のものはなかったのだ。 ぼくは、何とくだらないと思ったことをいまも覚えている。 勉強のできる仲良しを思い浮かべるだけで、すぐ5人ぐらいになってしまう。 男の子がAくんとBくんとCくん、女の子がAさんとBさん。 これでもう5人だ。 この中から2人、単に決まりだからというだけで「5」をつけてもらえない子が出るわけで、これはくだらないと思った。 そういうバカな規則が、何と1971年まで続いていたとはね。 で、ぼくは、当時の文部省、いまの文部科学省がいかに愚かなことばかりいじくっている役所かと、その後ずうっと考えるようになったのだった。 そんなこんな、早朝のニュース番組以降の1時間をベッドの中で回想のうちに過ごし、6時前に起きた。 早番のかみさんを見送ったあと、再びベッドに入って8時半ごろまでうとうとする。 鶏肉の蒸し料理ができている。 うまそうだ。 朝めしを食いながら「あさイチ」を見る。 アリバイ会社の存在を採りあげている。 書類を偽造し、場合によっては詐欺の手助けも可能な仕組み。 これが違法でないとはおどろいた。 ディスカバリーch.の『世界がとらえた東日本大震災』を陽くんと見る。 消去しないと決める。 午後3時20分ごろ、かみさが帰宅。 早番は帰りが早いところがいい。 陽くんは書類用の写真を撮るとかで、スーツを着て出かけて行った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.03.14 18:22:11
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