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2020.03.20
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2020年3月20日
七面山は富士山の西、南アルプスの東に位置する。緯度的には光岳にほぼ等しく、南アルプスの東南端ともいえる。気になっていたが、行く機会がなかった。今回、伸吉さんがプランニングしてくれ、6人で行くことになった。七面山は日蓮宗の聖地で山上に宿坊の敬慎院がある。宿泊者はすべて信者とみなされ、朝晩の勤行に参加し、滞在中は肉や魚の摂取は禁。東の富士山の展望がよく、春分と秋分にはダイアモンド富士がみられるという。今年はうるう年なので、19日がダイアモンド富士だったそうだが、1日位ずれてもたいした差にはならないだろうと思った。なお、「東京周辺の山(2010年山と渓谷)」や「東京付近の山(2000年実業之日本社)」には七面山は紹介されていない。『東京』というには若干遠いせいか、近年、道路網の進展で行きやすくなったせいか。

5:10、アッシー・ティーチャーのお迎えを受ける。5:40、ミサヨさんを調布駅でピックアップし、中央高速に乗る。7:00に境川SAでリリー車と合流する。30分ほど休んで、朝食を食べる。甲府南ICで高速を降りて、国道140号を笛吹川沿いに南西に走る。前方に朝日を浴びて櫛形山が櫛の形のなだらかな稜線を引いている。笛吹川は増穂で北からの釜無川と合流して富士川となり、方向を変えて南下する。国道52号に入り、方向を変えて南下する。今日は時間的に余裕があるので登山の前に身延山久遠寺に参拝することにする。久遠寺は日蓮宗の総本山で、鎌倉時代に日蓮上人によって開山された寺。面白いことに住所表示では七面山は身延山の飛び地になっている。



私は櫛形山に登ったり、釜無川の支流を沢登りしたことはあるが、身延ははじめての土地で目に新鮮だ。身延で東の県道に入り、久遠寺に至る。駐車場わきに三門があった。三門に草鞋がたくさん吊ってあって、足腰への効能もあるのかしら。山の前に行くにはちょうど良いかも。猫のついたおみくじを引く。中吉。



三門からまっすぐ伸びる参道の奥に天を突く石段が見えた。菩提梯と言われる287段、104mの石段だ。覚悟を決めて石段を登る。早くも体力差が表れてしまう。



階段を登ると久遠寺本堂が正面に鎮座していた。山行の無事を祈る。




境内には枝垂れサクラが満開寸前という風情で咲いていた。ラッキー。



なお、伸吉リーダーはこの様を「久遠寺」の中で次のように描写しているので、引用させていただく。
「287段の階段を登りきると満開の枝垂れ桜が出迎えてくれた。高低差104m。ここで結構消耗してしまった気がしたが、この階段を登れば、一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地に至ることができると言うものだから登らないではいかないではないか。それにしても桜の花は本当に美しい。あまりに美しすぎて、桜の森を舞台に、桜の精ともいうべき妖しく美しい残酷な女と山賊との幻想的な怪奇物語などが生まれることになるのだと思う(坂口安吾著「桜の森の満開の下」)。今回ご一緒頂く4名の女性は美しくはあるが妖しさとか残酷とは縁遠く、桜の化身として生まれて来てはいないと思われるが、ひょっとしたら口から先に・・・」 



境内から南に身延山山頂の奥の院(1153m)へ登るロープウエイが見えた。三門から50丁5.5㎞の登山道もあるとのこと。身延山を越えて東の春木川に降りた対面が七面山になる。七面山は法華経信徒の守護神の七面大明神が奉祀されている。甘露門をくぐって、石段ではない坂道の舗装道路を降りる。盛りのミツマタが薫っていた。



さて、いよいよ七面山に向かう。52号を少し北上して戻って、早川沿いに西に入る。10kmほど走ってから支流の春木川沿いに南下して、10時ころ、羽衣に到着。広い駐車場に駐車。10:35、羽衣出発(500m)。羽衣橋を渡った対面に白糸の滝があり、徳川家康の側室だったお万の方の像が立っていたはずだが、見なかった!なお、お万の方は僧の制止を振り切って七面山に登ってしまったことで女人禁制が解かれたという。お万の方はウーマンリブの走りか。少し上がるとトイレがあったのでまた小休止。



10:50、いよいよほんとの出発。間もなく、神力坊という初めての坊があった。道端に1丁目ごとに石燈籠があり、敬慎院で50丁になる。



石灯籠の
そばには日蓮宗の信心を表すような短い文を書いた標識が立つ。休憩所には長い文もある。幅広い登山道の両側に杉の大木が連なり、歩くのは楽だ。



文に足を止め、解釈に頭を絞るものもある。丁目が増えて行くことを楽しみに登る。



11:45、小1時間で13丁目の肝心坊(843m)についた。お茶をふるまってくれたので感激。20分ほど休んでランチをとる。ティーチャーがお心づけをボックスに投入してくださったとのこと。トコロテンが名物らしいが、誰も食べていなかったような。名士の名札とともに有名な俳優の名札が壁に飾ってあった。山本富士子、田宮二郎、野添ひとみ、丸山明広(!)など、中には昔懐かしい名前もあった。



10丁歩く。日蓮上人のお言葉の札があり、参道らしい雰囲気。ところどころにバスの停留所のような屋根付きベンチがあって、登山道というよりは参詣道という感じ。富士山が見えてきた。



12:43、23丁目の中適坊着。富士山が見える。肝心坊と違って休憩施設があるだけだった。中年のおばさんが道をはさんだ建物からちょっとけだるそうに出てきて、私たちの前に座った。茶菓の接待をするわけではなく、意図不明、なんだか見張られているようだった。壁には相撲取りの名札が多かった。相撲フリーク少女だった私には懐かしい名前があった。おばさんは、「30回登ると名札が出せる」といったが、一度でも来た力士の名札か、怪しく思われた。



13丁歩く。北東の展望が開けてくる。丁目ごとに短い寸言のようなものが書かれていて、頭をひねったが、「七面の信者に響く仏法僧」など、たわいのないものも見受けられる。



14:07、36丁目の晴雲坊着(1402m)。ここも休憩所だけだった。半分、網で入れないようにし切ってあった。次第に「○丁目」の数字が50に近づくのがうれしい。表参道は標高差こそあるが、ずっと参詣道という感じで道幅が広いせいか、急な登りとい感じがしなかった。



晴雲坊を過ぎると道端に雪が見られた。下山してくる登山者もいて、多分、表参道日帰り登山者と思われた。



15:27、和光門に着いた。門をくぐると左に鐘楼があった。誰でも突けるそうで、皆で一緒に鐘を突いた。



まっすぐ門を通過すると敬慎院の境内に入り、多くの建物が並んでいた。1000人が泊れるという。よくまあ、こんな山上にこんな寺ができたものだ。正面に宿坊があった。右手に七面山の山頂がこんもり丸く見えた。



15:40、宿坊着(1710m)着。玄関の中に入ると広いたたきになっていて、坊さんやハンテンを着たスタッフが元気よく迎えてくれた。荷物を置いて、遥拝所(展望広場)へ行く。石段を上がっていくと、随身門に黒く縁取られた富士山が見えてきた。山門を抜けると遥拝所で、公園のように小広い広場になっていた。



その東正面には白い富士山がそびえていた。神々しさにしばしみとれる。手前には身延山を配している。その奥に毛無山も大きい。北東に三ツ峠、御坂、北には大菩薩も見える。随身門を通って下って帰る。凍っているところがあって要注意。



宿坊に戻ると、大広間に通された。3,40人は泊れそうだ。男女混合で、どのように部屋を割り当てられたのか不明。一段落してからお風呂に入った。アメリカ人が二人いて、日本在住とのことだった。17:00、夕食となる。その間に布団を敷くという。名物の長布団で、スタッフは敷き方の技に誇り高いプロ意識を持っているようだった。



玄関ホールには展望広場のライブカメラ映像がモニターに富士山を映し出していた。その脇にAEDが設置されている。囲炉裏に名物の巨大ヤカンも発見。



夕食は徹底した精進料理。なんと、般若湯、お酒がついた。6人なので2合を確保した。食事は結構おいしかった。最後にすべりこんだ登山客は味噌汁にありつけなかったようだ。八紘嶺から単独で来たという。



夕食後に夕焼けの富士山を見に行った。夕陽に照らされた白い富士山がほのかに茜色に染まって、おだやかに夕闇に沈んでいく様を眺めた(扉写真)。



和子さんは寒かろうと、どてらを羽織っていた。19時からお堂で勤行があった。お経の中で30人近い宿泊客の名前を一人ひとり読み上げた。順番にお焼香もした。あらん限りの速さで読する僧侶達の声は次第に熱を帯び、ある種の原始性を帯びた音楽となって堂内に響き渡った。心地よい恍惚感を感じる一方、脳みそが振動を受けるようで、脳トレにもよいように思った。別当は若く、フレンドリーで偉ぶるところがなかった。勤行が終わってから、奥の間に案内されて骨董を見せてもらった。お万の方が使っていた鏡や小さな仏舎利などがあった。21:00、消灯となり、5人ワンセットの長い布団に入った。夜間、しんしんと冷えて、積んであったドテラを布団の引きずり込んで、下に敷いて、上に被って寝たのだった。






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Last updated  2020.04.22 10:07:41
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