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ポンコツ山のタヌキの便り

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2019年04月19日
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武部先生の漢詩の中国語音読み

校門で新入生も花開く
内進に新入学の歓喜無し


私が火曜日のお昼に自動車で県立ナンバーワンスクールの鶴丸高校前を通過したとき、校門の前で新入生たちが笑顔で写真を撮りっこしていました。校内の桜の花が満開でしたが、新入生たちも満開の笑顔を開かせていました。

そのとき思ったんですよね。短編小説の主人公の内川雅人くんは内部進学で高校に合格したとき、こんな笑顔を見せていただろうかと。おそらく彼はホッと安堵の胸を撫で下ろしたでしょうが、またこの学校でこれからも続く息苦しい生活を思うとウンザリしたことと思います。

奈良女子大附属高校を1970年(昭和45年)に卒業された安渓遊地さんから、武部先生の漢詩の中国語音読みに関するコメントをいただきました。附属の幼稚園からの附属っ子の内川雅人くんと違って奈良女子大附属の高校から入学されており、おそらく 満面の笑みを浮かべて入学式を迎えられたことと思います。その安渓さんが 高校三年生のときに武部先生の中国語音での杜甫の漢詩「春望」の「国破山河在」の授業を受けたとされています。そうでした、内川くん同じく杜甫の「春望」の中国語音の授業の洗礼を受けたと思われます。

 杜甫「春望」
  國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心
  烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪

 国破れて山河在り/城春にして草木深し/時に感じては花にも涙を濺ぎ/別
 れを恨んでは鳥にも心を驚かす/烽火三月に連なり/家書萬金に抵る/白頭
 掻けば更に短く/渾べて簪に勝えざらんと欲す

 内川雅人くんは戦後生まれの人間ですが、戦争を体験した人たちは、この「春望」の「国破れて山河在り、城春にして草木深し」の二句になんとも言えぬ感慨を覚えたといわれます。ただし、「春望」の詩の「国破れて山河在ももり」の「國」は国家のことではなく、唐の国都長安のことを指し、「破れて」の「破」は敗戦の意味ではなく、長安の都が「破壊されて荒れ果てている」様子を表現したものですね。

 しかし、「城」すなわち長安の都が戦乱で破壊され、春が来ても家の庭は手入れされず、草木が生い茂り、平和な日常が戦乱によってうち破られ、住みなれた街が無惨に破壊され、「家書万金に抵る」とあるように家人の手紙は万金にも値するような貴重で大切なものと思われます。愛する家族とも離散した人間の哀しみと不安が見事に詠われているがゆえに、この詩は時空を越えて戦後の焼け跡にたたずむ日本の人々の心に訴えかけ、またその後の人生の思い出のなかに織り込まれていったのでしょうね。

この漢詩を武部先生はいきなり中国語音読みで読み出されたのです。「クォポーサンハァザイ チョンチュンザオムーセン」と。上がったり下がったり、どすんと落ち込んだり、そうかと思うと急に浮上したり、それはまるでジェットコースターに乗って起伏の激しいレールの上を滑走しているような感じでした。いや、レールの上をゴーゴーと走るジェットコースターよりももっとなよやかでリズミカルでした。

 生徒たちはあっけにとられてぽかんとしていました。雅人くんもそのなかの-人だったのです。漢詩は中国の詩であるから、この奇妙な発音も中国語読みであることくらいは推測が付きましたが、それにしてもカルチャーショックを受けました。

 彼が驚いたのは、独特のイントネーションを持つ中国語の発音そのものではありません。中国音の発音はラジオやテレビでときどき耳にしていました。衝撃を受けたのは、漢詩に対する既成のイメージをこの先生の朗読がきれいさっぱり吹き飛ばしてしまったからです。漢詩や漢文といえば、ついこの間まで中学生だった彼の頭のなかにも 「国破れて山河在り」とか「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といった類の中国の名句・名言の片言隻句が雑然と入っていましたが、それらは格調が高くどんと重々しい感じがしていました。

 しかし、教室でいま中国語で朗読されたものはそれとは全く別世界のものでした。なんとも奇妙でなよやかでかつリズミカルでした。この漢文の先生が『白楽天詩集』の著者である武部利男先生でした。

 こうして、彼は漢詩に非常な興味を持ち、武部先生と親しく接し、先生の薫陶を受けて漢詩の素晴らしい世界に目が開かれていった、なんてお話をつぎに展開していきたいところですが、残念ながらそんなことは全くありませんでした。大学に進学して後も、漢詩に関してそれほど強い関心を持つことはありませんでした。

 それでも、高校で漢文を担当されたあの武部利男先生が中国の古典詩の優れた研究者であることぐらいは知るようになった。また、なぜ武部先生が高校生に漢詩をいきなり中国語で朗読されたのか、その理由も次第に分かるようになった。

 確かに、中国の古典語で書かれた漢文や漢詩の内容を理解する上で、日本人が中国の優れた文化を吸収するために編み出した読み下し(訓読)の方法は非常に便利なものです。また、漢文の訓読は、日本の「古典語」としてそれ独自の格調の高さがあり、この漢文訓読そのものが日本語をはぐくみ育ててきたのです。

中国での漢字の発音は時代とともに変化し、現代中国語と古典詩である漢詩が詠まれた時代とでは発音が随分異なっています。しかし、漢詩を現代中国語音(現代北京音)で発音しても、押親や平灰の組み合わせから作り出されるリズムは大体つかめます。先生はおそらくこんなことを生徒たちに印象深く教えるために中国語でいきなり漢詩を朗読されたのであろう。





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最終更新日  2019年04月30日 19時12分32秒
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