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カテゴリ:鹿児島
鹿児島市電の郡元電停正面すぐ近くにダイエー鹿児島店がありますが、この大型ショッピングセンターの西側広場にロバ、クマ、ウマ、ヤギのブロンズ像が置いてあります。この動物たち、いまはみんなブロンズで作られていますから、もちろん動き回ったりはしませんが、昔はこのあたりに鴨池動物園(1916年開園、日本で4番目に古い動物園)があって、様々な動物たちの元気な姿を見ることができたそうです。 クマタツさんからそんな鴨池動物園やその近くにあった野球場、海水浴場等についての思い出を書かれたエッセイ「鴨池動物園とその周辺の思い出」をいただきましたので、拙サイトの「月下推敲」に転載させてもらいました。また同じく拙サイトの「鹿児島の市電と街」の「鴨池電停」紹介ページからこのクマタツさんのエッセイにリンクを貼りました。 私は、鴨池や郡元の市電周辺のことを調べていたときにこれらの電停近くに動物園があったことを書籍などで知ったのですが、実際に子ども時代にこの動物園に遠足などで出掛けられ楽しまれたクマタツさんのエッセイはとても興味深いものでした。また動物園のすぐ近くに海水浴場があったことはいただいたエッセイで初めて知りました。前に鹿児島県立図書館でコピーしていた「鹿児島市観光案内図(鹿児島観光課・鹿児島市観光協会、1954年3月)」をあらためて取り出して見直しましたところ、路面電車の軌道が郡元電停から鴨池電停を通っていますし、東側の海岸には「鴨池海水浴場」という文字が見えます。
しかし現在の鴨池には動物園もなければ海水浴場もありません。1972年開催の太陽国体のために鴨池周辺は大々的に整備され、近くの海岸一帯は埋め立てられ、白砂青松の海水浴場はなくなってしまったそうですし、また動物園も鹿児島市南方の平川に移ってしまいました。 ところでクマタツさんにお訊きしたいことが一つあります。作家・脚本家の向田邦子は9歳から11歳という多感な少女期に昭和14年(1939年)1月から昭和16年(1941年)3月まで約2年間を鹿児島市平之町上之平50番地に住んでおり、彼女の「細長い海」と題されたエッセイ(文春文庫の『父の詫び状 新装版』所収)には、「海水浴場で心に残っているのは、鹿児島の天保山である」と書いています。それで、クマタツさんのエッセイを拝見して疑問が生じたのですが、彼女が住んでいた平之町からなら鴨池海水浴場も近くて便利なのに、なぜ鴨池の海水浴場については一行も触れていないのでしょうか。いろんな回答が可能と思いますが、もしよろしければクマタツさんのご見解をお聞かせ願いたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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