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カテゴリ:映画鑑賞
最近のマイブームの一つに小津安二郎監督の作品をDVDで鑑賞することがあります。その小津作品のなかでも特にお気に入りが飯田蝶子、笠智衆出演の「長屋紳士録」です。
この映画は1947年に制作されたもので、小津監督が日本軍政下のシンガポールから敗戦になって1946年に帰国して最初にメガホンを取った作品です。日本に帰国した小津監督は、1946年7月22日の「東京新聞」で「矢張り楽しい内容を盛りたい。/材料は暗い面であっても扱う角度は明るくあり度い」と抱負を語っています。そりゃそうですよね。散々戦争の悲劇を体験した当時の日本の人々が心から欲していたのは明るく楽しいものだったと思います。 それで、この映画には戦中の空襲で焦土と化した東京下町の一角に「奇跡的に残った長屋」の住人と、戦争で親とはぐれた子どもとの触れ合いが人情味豊かに描き出されています。特に笠智衆演じる田代が長屋の連中の箸と飯茶わんで打ち鳴らすチャンチャカチャン、チャンチャカチャンという音頭に合わせて「のぞきからくり」の「不如帰」(ほととぎす)の口上を披露するユーモラスな姿が最高に印象的で愉快でした。このことについて、笠智衆は『小津安二郎先生の思い出』(朝日文庫)でつぎのように語っています。 先ほど話に出た『長屋紳士録』は、飯田蝶子さん、河村黎吉さん、坂本武さん、そして僕といった小津組の常連が長屋の住人に扮した人情喜劇で、小津先生が戦前によく撮っておられた下町喜劇「喜八もの」の系統にあたる作品でした。 この映画の中の、長屋の連中が集まって酒盛りをする場面で、僕は“のぞきからくり”の口上をやらされました。 “のぞきからくり”というのは、箱の中に入った紙芝居みたいなもんで、田舎にいた頃、よくお祭りに回ってきた見せ物です。客は覗き窓から箱の中を見て、お話にそって変わっていく絵を“からくり屋”の口上を聞いきながら楽しむのです。子供だった僕は、これが大いに気に入って、小遣いがなくて覗けない時も、“からくり屋”の横でじっと口上を聞いていた。門前の小僧で、すっかりその口上を覚えてしまったのです。 「父は陸軍中将で、片岡子爵の長女にて、桜の花も開きかけ、人も羨む器量良し、その名は片岡波子嬢…⊥。これは、新派悲劇の『不如帰』で、僕の十八番でした。酒席の余興で披露した時、先生の目に止まり、『長屋紳士録』で、「やってみろ」ちゅうことになったのです。 僕が箸で小鉢を叩いて調子を取りながら口上をあげ、飯田煤子さんが合いの手を入れる。なかなか楽しい場面でした。口上の合間に、ひょいと手を上げる仕草は、からくりの絵を変えているところ。映画では絵はないので、観ている人には僕が何をしているかわからず、ずいぶん間の抜けた感じがします。でも、そこが変におかしくて、お客さんには受けたようです。 この場面の撮影ほど楽だったことはありません。先生はダメなど出さず、ニコニコして見ておられるだけ。そりやあそうでしょう。“のぞきからくり”では、先生より僕のほうがベテランですからね。何につけても頭の上がらなかった先生との間柄で、ひとつだけ、僕のほうが上手なものがあったのです。ちょいと、いい気分でした。 この「長屋紳士録」で笠さんが唄った「不如帰」(ほととぎす)の口上を下に紹介しておきます。 三府の一の東京で(ああどっこい)/波に漂うますらおが/はかなき恋ににさまよいし/父は陸軍中将で/片岡子爵の長女にて(ああどっこい/桜の花の開きかけ/人もうらやむ器量よし/その名も片岡浪子嬢/(ああちょいと)海軍中尉男爵の/川島武男の妻となる/新婚旅行をいたされて/伊香保の山にワラビ狩り(ああどっこい)/遊びつかれてもろともに/我が家をさして帰らるる/(ああちょいと)武男は軍籍あるゆえに/やがて征くべき時は来ぬ/逗子をさしてぞ急がるる/浜辺の波のおだやかで(ああどっこい)/武男がボートに移るとき/浪子は白いハンカチを(ああどっこい)/打ち振りながら/「ねえ、あなた早く帰って頂戴」と/仰げば松にかかりたる/片割れ月の影さびし/実にまあ哀れな不如帰」 さて、この映画のストーリーはつぎのようなものです。画家で占い師をやっている田代(笠智衆)が長屋の同居人で飾り職人をしている為吉(河村黎吉)に小学校入学前の年齢と思われる少年・幸平(青木放屁)を連れ帰って来ます。その少年は親にはぐれて田代について来たので、為吉に預かってくれないかと言うのです。困った為吉は向かいの荒物屋のおたね(飯田蝶子)に押しつけ、一晩ならと引き受けたおたねも寝小便をする幸平に閉口し、彼女は染物屋の喜八(坂本武)に幸平を押し付けようとします。しかし子沢山の喜八も引き受けられないと言うので、長屋でくじ引きをして×印を引き当てた人間が幸平の家があるという茅ヶ崎に連れていくことにします。結局、おたねが×印を引き当て、彼女は幸平と一緒に茅ヶ崎に出掛けますが、父親は茅ヶ崎にはおらず、おたねは幸平を置き去りにすることも出来ず、結局また長屋に連れ帰って、一緒に暮らすことになります。 最初は幸平に対し、鬼のような怖い顔をして犬を追い払うように「シッシッ」と言っていたおたねでしたが、次第に情が移り、長屋の人々もまた幸平のことをいろいろ気にかけるようになってきます。おたねは、幸平が店の売り物の干し柿を勝手に食べたこと(後で為吉が食べたと判明)や寝小便のことで厳しく叱った翌朝に幸平が姿を消したときには、心配で近所を探しまわります。そんなおたねに旧友のきく女(吉川満子)が「あの子に情が移ったんだよ」と指摘します。そんなときに田代が九段で幸平を見つけ出して連れ帰って来ます。 おたねは、翌日には幸平を連れてきくと一緒に上野動物園に遊びに出かけ、写真館では母子のように記念写真を撮ります。おたねは幸平を自分の養子にしてもいいと思うようになったのです。ところがその夜、幸平の父(小沢栄太郎)が長屋を訪れて来ます。九段坂で息子の幸平とはぐれてしまい、一生懸命探していたが、やっと居場所が分かったと言うのです。おたねは、彼が息子を捨てたのではなく優しい父親で、本当に親子ははぐれてしまったことが分かり、自分が幸平のために買った帽子とセーターを父親に渡し、恐縮して深々と頭を下げて立ち去っていく父親と子どもを見送ります。 見送ったおたねは田代と為吉の前で泣き出しますが、そのときおたねは「あたしゃ悲しくて泣いているんじゃないんだよ。あの子がどんなに嬉しかろうと思ってさ。やっぱりあの子ははぐれたんだよ。さぞ不人情なおとっつぁんだと思ってたら、どうしてとってもいいおとっつぁんで、ずいぶんあの子を探してたんだよ。それが会えてさ、これから一緒に仲良く暮らせると思ったら、どんなに嬉しかろうと思って泣けてしまったのさ」と心情を吐露します。 なお、小津監督はこの映画を完成させて約2年後の1949年11月8日の「アサヒ芸能新聞」に「泥中の蓮を描きたい」という文章のなかでつぎのように語っています。 とにかく私がキャメラに向う折に根本的なものとしていつも考えているのは、キャメラを通して深く物を考え人間本来の豊かな愛情をとりもどしたいということ……そりや戦後は風俗やら心理やら、いわゆるアプレゲールといわれる奴は今までとは違っているかも知れませんが、その底に流れるもの、ヒューマニテーといったら抽象にすぎるかもしれませんがほのぼのとした人間の温みとでもいったようなものを、どのようにしたら最もよく画面に表現し得るか……この辺が私の常に考えていることで、そしてやりたいことなんです。 泥中の蓮……この泥も現実だ、そして蓮もやはり現実なんです、そして泥は汚いけれど蓮は美しい、だけどこの蓮もやはり根は泥中に在る……私はこの場合、泥土と蓮の相を描いて蓮を表わす方法もあると思います、しかし逆にいって蓮を描いて泥土と根をしらせる方法もあると思うんです。 戦後の世相はそりや不浄だ、ゴタゴタしている、汚い、こんなものは私は嫌いです、だけどそれも現実だ、それと共につつましく、美しく、そして潔らかに咲いいる生命もあるんです、これだって現実だ、この両方ともを眺めて行かねば作家とはいえないでしょう、だがその描き方に二通りあると思う、さき程いった泥中の蓮の例えで…… しかしこの場合美しく情の世界を謳いあげようとするとすぐ、懐古だ排個だという、このような一つの目しか持ち得ないのが戦後の風俗でしょうが、それだけが真物じゃないと思うんですよ、「晩春」「風の中の牝鶏」そして以前の「長屋紳士録」と私の系譜は今いったような理念にささえられていると思うんですが…… この映画のラストには上野の西郷さん銅像の廻りで、タバコを吹かしたりしている浮浪児たちの姿が映し出されます。早乙女勝元『図説 東京大空襲』(河出書房新書、2003年8月)に拠ると、1945年の「三月一〇日東京大空襲による人命の被害は、後の原子爆弾による惨禍を除けば、史上空前の規模に達した」とのことで、「焼失家屋二六万七一七戸、罹災者一〇〇万八〇〇五人、負傷者四万九一八人、死者八万八七九三人(八万三七九三人もある)と、警視庁は記録しているそうです。ほかに行方不明者や、運河から東京湾にまで流出した無数の死者、今なお地下深く眠る埋没体、いち早く遺族に引きとられた死者まで含めると、およそ一〇万人もの生命が失われたのだった」と記述しています。特に現在の台東区西浅草、墨田区本所、江東区白河、中央区日本橋の東京下町へは約36万発の焼夷弾が投下され、こうして、下町は火の海と化し、そのなかで10万人の市民の尊い命が奪われたのです。 激しい空襲で焦土と化した東京下町の一角に「奇跡的に残った長屋」という架空世界で演じられる蓮の花のようにつつましく咲く人情喜劇のその底に、小津監督はこのような家族を失い家を焼け出された戦災浮浪孤児たちのの厳しい現実の姿があることも垣間見せたかったのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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