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カテゴリ:エッセイ
私の手許に武部利男『白楽天詩集』(六興出版、1981年)という本がある。私はこの本を手にするたびに高校1年のときに受けた漢文の最初の授業の日のことを思い出す。
教室に入って来られた漢文の担任の先生は、いきなり黒板にさらさらと漢詩を書かわた。そのとき、この先生が黒板に書かれたものがどんな漢詩であったのか、残念ながら忘れてしまったが、確かそれは人口に膾炙された詩で、私もそれまでにその読み下し文を耳にしていたと思う。さて、つぎに読み下しによる説明が始まるのかと思ったら、先生はこの漢詩をなんとも奇妙な発音で読み出された。 上がったり下がったり、やけに高い音が発せられたかと思うと、ど すんと落ち込んだり、そうかと思うと急に浮上したり、それはまるでジェットコースターに乗って起伏の激しいレいルの上を滑走しているような感じであった。いや、レールの上をゴーゴーと走るジェットコースターよりももっとなよやかでリズミカルであった。 生徒たちはあっけにとられてぽかんとしていた。私もそのなかの-人だった。漢詩は中国の詩であるから、この奇妙な発音も中国語読みであることくらいは推測がついたが、それにしてもカルチャーショックであった。 私が驚いたのは、独特のイントネーションを持つ中国語の発音そのものではなかった。中国音の発音はラジオやテレビでときどき耳にしていた。衝撃を受けたのは、漢詩に対する既成のイメージをこの先生の朗読がきれいさっぱり吹き飛ばしてしまったからである。漢詩や漢文といえば、ついこの間まで中学生だった私の頭のなかにも 「国破れて山河在り」とか「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といった類の中国の名句・名言の片言隻句が雑然と入っていたが、それらは格調が高くどんと重々しい感じがしていた。 しかし、教室でいま中国語で朗読されたものはそれとは全く別世界のものであった。なんとも奇妙でなよやかでかつリズミカルであった。この漢文の先生が『白楽天詩集』の著者である武部利男先生であった。 こうして、私は漢詩に非常な興味を持ち、武部先生と親しく接し、先生の薫陶を受けて漢詩の素晴らしい世界に目が開かれていった、なんてお話をつぎに展開していきたいところだが、残念ながらそんなことは全くなかった。高校在学中、ステルス機のように全く目立つこともなく密かに低空を飛行していた私は、武部先生に自分から積極的に親しく接することはなかったし、漢詩も大学受換の対象として勉強するだけであった。また、大学に進学して後も、漢詩に関してそれほど強い関心を持つことはなかった。 それでも、高校で漢文を担当されたあの武部利男先生が中国の古典詩の優れた研究者であることぐらいは知るようになった。また、なぜ武部先生が高校生に漢詩をいきなり中国語で朗読されたのか、その理由も次第に分かるようになった。 確かに、中国の古典語で書かれた漢文や漢詩の内容を理解する上で、日本人が中国の優れた文化を吸収するために編み出した読み下し(訓読)の方法は非常に便利なものである。また、漢文の訓読は、日本の「古典語」としてそれ独自の格調の高さがあり、この漢文訓読そのものが日本語をはぐくみ育ててきた。 しかし、漢詩は独特の韻律に基づく独自の美しい調べを有しており、それは漢文訓読では残念ながら絶対に体感できないものである。だから、あのとき、高校1年生の私は先生の漢詩の中国読みを初めて耳にして、漢詩に対する既成のイメージが吹き飛んだのだ。 もっとも、中国での漢字の発音は時代とともに変化し、現代中国語と古典詩である漢詩が詠まれた時代とでは発音が随分異なっている。しかし、漢詩を現代中国語音(現代北京音)で発音しても、押親や平灰の組み合わせから作り出されるリズムは大体つかめる。先生はおそらくこんなことを生徒たちに印象深く教えるために中国語でいきなり漢詩を朗読されたのであろう。 武部先生は五十代半ばにして病のために亡くなられたが、その翌年に『白楽天詩集』が遺著として出版された。私は先生のこの遺著を手に入れて読んだとき、先生の漢詩への思いがあらためてひしひしと伝わってきた。 同書で先生は、白楽天(自居易。中唐の詩人)の詩を七五調のやさしい言葉で全文ひらがな(固有名詞はカタカナ)を使って口語訳しておられたのだ。 例えば、白楽天には「買花」と題する詩があり、もし、この詩の冒頭部分を読み下しにすれば、「帝城春暮れんと欲し/喧喧として車馬度(わた)る/共に道(い)う牡丹の時/相随いて花を買いに去(ゆ)くと/貴賤常価無く/酬値花の数を看る」となり、とても格訴高く重々しい。朗読するときは、思わず正座して背筋を伸ばして朗読することであろう。ところが、武部先生は『白楽天詩集』でこの「買花」全文をつぎのように訳されている。 みやこでは はるの くれがた/がやがやと くるまが とおる/だれも いう ぼたんの きせつ/あいついで はな かいに ゆく たかい やすい きまりは なくて/その あたい はなの かずだけ/もえさかる ひやくの べにばな/こじんまり いつつ しろばな てんまくで ひよけを つくり/たけがきで まわりを かこむ/みずを やり つちを もりあげ/うつし うえ いろは かわらず いえいえの ならわしと なり/ひとびとは まよいが さめぬ/いま ひとり いなかの おやじ/はな かう ところに であう/あたま さげ ながい ためいき/この なげき だれも きづかぬ/ひとむらの こい はなの ねは/じっけんぶん なみの いえの ぜい 当時、唐の長安の都では牡丹ブームで、都の人々は相争って牡丹を買い求め、それを我が子のように大事に育て、その美しさを競い合ったそうである。そのために珍しい牡丹は「-叢深色花、十戸中人賦」(一叢の濃い牡丹の花の値段が並みの家の十軒分の税に当たる)様な高値で売買され、それを見た「田舎翁」(田舎から出てきた貧しい老農夫のことであろう)をして嘆かせることになる。そんな異常な牡丹ブームに対する白楽天の素朴な疑問と激しい義憤が時代を越えていま私たちに伝わってくるような見事な訳文である。そして、またなんて分かりやすくてリズミカルな訳文であろうか。 白楽天は、詩が出来上がると、近所の字の読めないお婆さんに読んで聞かせ、お婆さんが分かるまで何度も書き直したという逸話が残っているが、この口語訳には白楽天のそんな詩に対する姿勢や思いが見事に現代の日本語で再現されているのではないだろうか。私は、高校の漢文の最初の授業のときに味わったような驚きを先生の遺著『白楽天詩集』で再び体験したのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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