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カテゴリ:エッセイ
私の父親についての記憶は天狗のお面の恐怖とともに始まっている。幼い私の目の前に突然真っ赤な色をした大きな鼻の厳つい顔の化け物がニューッと現れ出たのである。私はそのときギャーッと叫んで別の部屋に逃げ出したと思う。 しかし厳つい顔の真っ赤な大きな鼻のお化けは泣き叫ぶ私の後を追いかけまわし、泣き叫ぶ子どもの声を聞きつけた母が現れて、その怖いお化けもやっと面を脱いでくれた。その天狗のお面の記憶が私の父親に対する最初の記憶だったように思う。 関西の奈良のことであるから、父親が天狗のお面を被って私を驚かせたのは、秋田のなまはげの風習を見習ってのものではなかったであろう。ただ幼い子どもが泣いて騒ぐのが面白いかったにすぎないと思われる。私の父はそういう人であった。 この私の幼い頃の記憶は、私の両親が祖父母の暮らす奈良市の大豆山(まめやま)に身を寄せるようになった頃でことである。そして私の父親の記憶は上に述べた天狗面の恐怖の体験と重なっている。天狗のお面は祖父が集めていた能面の一つであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年09月14日 02時04分21秒
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