テーマ:今日のこと★☆(104547)
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今日も混声合唱の練習。六時までだいたい行っているわよと言われ、四時二〇分家を出、五時五〇分頃練習会場に着きましたが、鍵がかかっていました。また場所を間違えたかしらと思っているところへ、合唱団の男性がアタフタと、鍵を持って現れました。今日は人数があまり集まらないからと、二部屋ぶち抜くことはせず、一部屋を大きく使って練習。でも男性が断然休みが少ない。女性は圧倒されっぱなしでした。 人数が少ない分自分の声が良く聞こえました。どうもこの音程は出しにくい、ということが良く分かりました。中途半端なのです。高い方が声を出しやすいのですが、これは、中音が多く、ともすると変な声が出てしまうのです。個人レッスンの先生に楽譜を見せたらきっと、あなたの声に合わないからやめなさいと言われるでしょう。---ああ、声の出し方を工夫しなくては。でも高い音もあるので、それは得意の分野、自分の声をコントロール出来て、良い声が出せます。まあ、こっちで勝負するしかないでしょう。 何度も練習を繰り返すうち、「愛に生き平和に生きる」の方は暗譜できましたが、「桑ばたけ」はまだまだ。八月二五日コンクールまでもう一月を切りました。せっせと練習に通って曲に慣れ、覚えるしかありません。でも少し見通しがついてきました。 家から練習会場まで電車で通うのに幾通りもあるのですが、どれが一番近道か帰りはまた別のルートで帰りました。一時間二〇分。少しは近道かも。 行き帰りの車中で、また「三四郎」をひもどきました。書いてあることが滑稽でもあり、洒脱で面白くなかなか止められません。電車の中という限られた時間の中で読むのは何かもったいない気がしました。 それから読んで行きながら思いつたことがあります。それは、三四郎が空想していること、思っていることがそのまま地の文に書かれていること。これは、フォークナーじゃないかと。もっともフォークナーの方がもっと空想の文と地の文との区別がつけにくく、続けて書いてあります。ただし斜体で。「意識の流れ」の文体です。いや、これは漱石がもう始めたことなんだと、ひとり悦に入っていました。調べると、「三四郎」を書いたのが1908年。フォークナーがその文体で書き始めたのが「響きと怒り」で1926年。「三四郎」の方が一八年前です。ちょっとこれは面白いと思いました。 そんなこんなで家に着いたのが九時五〇分。それから食事を済ませました。
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